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2021/02/24 【文化財小話】萩市大井の文化財① ― 円光寺古墳 ―

 山口県教育庁社会教育・文化財課では、平成27年度から令和元年度にかけて萩市大井地区の遺跡分布調査を実施し、その成果をまとめて『萩市大井地区所在遺跡』を刊行しました。
 その成果のこぼれ話として、円光寺古墳を紹介します。

 円光寺古墳は昭和4年に国鉄山陰道線敷設工事中に発見された古墳で、現在のJR長門大井駅から約50m北の線路上に位置しています。
 工事中の不時発見であるものの立派な遺物が出土しており、そのうち、単鳳環頭大刀柄頭3点(写真1)・勾玉4点・碧玉製管玉1点・耳環2点・刀装具2点が山口県指定有形文化財となっています。他にも鉄鏃50、坏破片、大甕破片が出土しています。

 まだ埋蔵文化財保護行政が確立する以前の時代のうえ、工事中の不時発見という事情もあったため、残念ながら古墳の主体部の詳細な図面等はありませんが、幸いにも鉄道敷設以前の状況が風景画として描かれており、円墳であったことが確認できます(図1)。また、発見当時の記録から6世紀初頭の竪穴式石室だったのではないかとされています。

 ところが、単鳳環頭大刀柄頭をはじめとする出土遺物は、いずれも6世紀後半~7世紀初頭のもので、通常は横穴式石室や横穴墓から出土するものばかりです。このため、6世紀初頭の竪穴式石室とするのはかなり無理があります。
 一方で、発見当時の記録では「石槨の構造は、12尺ばかりの長さを有する組合せ式のものにして、下部に平石を敷きその上に丸き石を置き」とあります。この記録からは、組合せ式石棺や竪穴式石室が連想されます。

 当時の記録を検証するのが難しいため、竪穴式石室である可能性を否定しきれませんが、現在検証可能な出土遺物を見る限り、6世紀後半の横穴式石室と推定するのが素直な見方となります。

 結論を急ぐ必要はありませんが、大事なのは検証可能な記録を残し後世へ伝えることです。円光寺古墳は埋蔵文化財行政が確立される以前の工事中の不時発見でありながら、その当時できうる最大限の記録と遺物の保管がなされ、しかも工事前の風景画が残されたことで、「6世紀の円墳」であることは明確となりました。
 竪穴式石室か横穴式石室かも、しっかり検証可能な記録を後世へ伝えることで、いずれ明確になることでしょう。

 萩市大井の遺跡には個性的な資料がほかにもあります。今後も折に触れて紹介いたします。(n)



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