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2022/03/23 【文化財小話】萩市大井の文化財② ― 円光寺窯跡・下七重陶棺・上七重窯跡 ―

 山口県教育庁社会教育・文化財課では、平成27年度から令和元年度にかけて萩市大井地区の遺跡分布調査を実施し、その成果をまとめて『萩市大井地区所在遺跡』を刊行しました。
 その成果のこぼれ話その2として、窯業にかかわる埋蔵文化財を紹介します。

◆円光寺埴輪窯跡
 円光寺埴輪窯跡は昭和12年(1937年)に土取り作業中に発見されました。窯跡自体は完全に消滅してしまいましたが、発見時に採集された埴輪が萩市文化財保護課にて保管されています(図1)。このうち円筒埴輪は5世紀末~6世紀前半のものです。
 現在確認できる埴輪はいずれも黒斑がないことから穴窯で焼かれたものと推定できます。また、発見当時の記録からは地下式もしくは半地下式の構造であったとされます。
 円光寺埴輪窯跡は、萩市大井地区で初めて導入された穴窯であり、山口県の窯業史上、最古の事例でもあります。
 円光寺埴輪窯跡出土 埴輪実測図

◆下七重出土陶棺
 下七重出土陶棺は昭和13年(1938年)に道路工事の際に発見されました。窯跡そのものが確認されたわけではありませんが、当時の出土状況や周辺の環境などから窯跡に伴う遺物であったと推測されています。萩市大井地区のなかでも七重は古墳が分布しておらず、その一方で、後述する上七重窯跡が所在していることなどから、窯業向きの土地条件であったことがわかります。
 陶棺は6世紀末~7世紀に生産された棺の一種で、岡山県や近畿地方で出土するものです。山口県では3例しかないのに、陶棺の窯跡があるのは非常に特殊な状況です。
 発見された陶棺を見てみますと、古代の瓦作りと同じ道具・技術で作られたタタキ痕が良く残っており、瓦の生産者が特注を受けて作られたものと推定できます。タタキ痕をあえてそのまま残すことは独特であり、岡山県や近畿地方の陶棺には類例が見当たりません。また、陶棺の破片は1点ごとに細部の加工が異なっており、少なくとも2~3棺は生産されたことが推定できます。
 陶棺の出土事例が少ないので必然的ではありますが、山口県の窯業史上、唯一の事例となります。
 下七重出土陶棺 蓋
 下七重出土陶棺 身(内面)
 下七重出土陶棺 身(外面)

◆上七重窯跡
 上七重窯跡は萩市文化財保護課が分布調査を実施中、平成3年度(1991年度)に地元からの情報をきっかけに発見されました。半地下式の穴窯で、焚き口はすでに壊され残っていませんが天井部が現存します。
 窯体内から採集された遺物は14世紀前半のもので、常滑焼の影響を受けた甕、東播系須恵器の影響を受けた鉢、丹波焼の影響を受けた擂鉢、在地土器を転用した窯道具などが確認されています。
 先述の下七重陶棺と同様、他地域の影響を受けながら大井地区七重で独自の窯業を営む状況が、約700年経過した中世に至っても確認でき、大井地区の特色をよく示しています。
 上七重窯跡

 山口県の焼き物といえば萩焼が有名ですが、萩焼が開業したのは江戸時代のことで、それ以前の山口県窯業史はよくわかっていません。大井地区は萩焼前史に係わる資料がいくつか残っており、地域独特の個性を伝えてくれています。
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