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2023/01/27 【文化財小話】「山口県下松市西豊井の丘」今昔物語

 この夏の埴輪(はにわ)の報道で、考古学の専門家のみならず、多くの歴史ファンの知るところとなった下松市西豊井の小高い丘に所在する「天王森古墳」。多数の円筒埴輪に加え、形象埴輪が一括で出土したという報道に胸躍る思いをした方も多いことでしょう。今年度お披露目された埴輪は復元作業の済んだ大刀形埴輪(たちがたはにわ)と円筒埴輪(えんとうはにわ)の2点ですが、今後も復元の済んだ埴輪が続々と発表され、そのたびに大きな話題を呼ぶことでしょう。楽しみに待ちたいですね。
 埴輪が見つかった丘は、戦後長い間大手メーカーの所有で社宅が建ち並び、その一角にある古墳は子供達の憩いの場として利用されていました。現在は、大手住宅メーカーが古墳周辺一帯の宅地開発を進め、一部で分譲も始まっています。
 この開発に伴い令和2年の暮れから翌年3月までに実施した遺跡の調査結果を簡単に紹介します。
 遺跡の時代は、最も古い時代は弥生時代、ざっくり2000年前の高地性集落跡です。発見された場所は古墳(前方部)西側、発見された遺構は土坑(どこう)(大きな穴)です。古墳を造る際に表面は1m以上削られていると思われ、本来はかなり深かったと考えられるので、貯蔵穴(ちょぞうけつ)(食べ物などを地下に蓄えておく穴)の可能性も考えられます。
 次の時代はそれから約500年後の古墳時代、6世紀前半の前方後円墳、天王森古墳がつくられた時代です。今日出土した埴輪は、今城塚古墳(いましろづかこふん)(大阪府高槻市)から出土した形象埴輪に特徴が非常に似ていることで、注目を集めています。大刀以外にも巫女(みこ)や力士(りきし)、家、盾(たて)、靭(ゆぎ)、猪(いのしし)などを象った埴輪が出土しており、復元作業の進展が待ち遠しい限りです。
  形象埴輪
 最後は古墳時代の約1000年後、中世後半(室町時代後半)です。発見された遺跡は山城の一部で、形象埴輪が一括で出土した周壕の近くで堀切(ほりきり)が確認され、埋土には土師器(はじき)の皿や杯(つき)の破片が含まれていました。天王森古墳は自然劣化としては不自然なほど傷みが激しく、その劣化の理由が分からなかったのですが、現代の広場利用だけではなく、中世の城跡工事も関係すると考えられます。
  堀切
 調査の結果この丘は、大昔は人々の集う集落として、次は権力者の眠る神聖な空間に、その後は争いの舞台に、そして今日では再び人々の集う空間に変貌を遂げていることが分かります。
 それぞれの時代、人々はこの丘の上から見える風景や星空をどのような気持ちで眺めていたのでしょうか。空気が乾燥する冬、星の輝きが一段ときれいに感じられる季節です。夜ちょっと足を止めて星空を眺めてみてはいかがでしょうか。(N)



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