一般向け 説明 | 萩市見島の東南部海岸一帯の小石の海浜に、比較的大きい玄武岩を用いて造られた 200基に近い積石塚の密集した群集墳。7世紀後半から10世紀初頭にかけて造られたと推定される。積石塚(つみいしづか)は、墓の上を盛り土ではなく自然石で厚く覆った墓をいう。 ジーコンボとは、土地の言葉で「爺」 「婆」のことを「じいこう」 「ばあこう」というところから、祖先の意味だという説がある。 この古墳群は、墓の内部の構造が竪穴式石室、横穴式石室、箱式石棺の三通りに分けられる。それぞれ、ほぼ地域的にまとまっており、造られた時期にも差がある。 埋葬されている者については、島内の居住者とは考えられず、墓の数が多いことや出土した武器類、装身具類、銅銭、土器類などから、当時の朝鮮半島の国新羅の侵入に備えて、中央の文化を持ってこの島に駐留していた武人の集団であったと考えられている。 |