文化財名称 | よしだしょういんゆうしゅうのきゅうたく 吉田松陰幽囚ノ旧宅 | 指定 | 国指定 |
市町 | 萩市 | 区分 | 記念物 | 時代 | 江戸時代 |
一般向け 説明 | 吉田松陰は萩藩の下級武士杉家に生まれ、のち藩の山鹿流兵学師範を代々勤めた吉田家の養子となった。9歳で藩校明倫館に出仕し11歳の時には藩主毛利敬親の前で講義を行う。21歳で長崎・江戸に遊学するが、その後脱藩の罪により萩に閉居となる。1854年(安政元)アメリカ艦隊が日本にやって来たとき海外渡航を試み失敗。幕府のとがめを受け江戸の獄に入れられ、のち萩の野山獄に移された。1855年(安政2)、野山獄を許された松陰は実家の杉家に幽囚となる。 史跡「吉田松陰幽囚の旧宅」はこの杉家旧宅。木造平屋建てで8畳3室・6畳3室・3畳半1室などからなる。建物は後年修理されているが、幽囚の室は3畳半ほどで当時の状態が保存されている。 |
小学生向け 説明 | 1854年(安政元)、吉田松陰は国外渡航を試みて失敗し、江戸の獄につながれました。その後、萩の野山獄へ移されていましたが、1855年(安政2)、獄を出ることを許され、杉家の屋敷に謹慎を命じられました。これが「吉田松陰幽囚ノ旧宅」(杉家)です。 吉田松陰は、1859年(安政6)に幕府によって死刑になりましたが、その教えを受けた多くの人たちが幕末から明治にかけて活躍しました。 |