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文化財の概要コンテンツ

文化財名称(はぎやき)やまとやすお
(萩焼)大和保男
指定県指定
市町山口市区分無形文化財時代
一般向け
説明
 山口萩焼は、萩松本・松緑窯の大和作太郎が1892年(明治25)に山口に進出し、山口宮野に造られた松緑窯に始まる。
 作太郎は、主な原料土の大道土に地元の土を数種類混ぜ合わす事により、「ホタル」とか「ホシ」と呼ばれる、まだら状の紅色の発色を新たに創り出した。
 大和保男は、作太郎の孫にあたる。父は大和春信(春信松緑窯)で、父から萩焼の指導を受け中学生時代には、一人前の職人に成長していた。
 茶席用の陶器の製作では、鬼萩土を使い塩釉を応用した「炎箔」の技法の開発が評価を受けている。
 また、萩焼を素材とする陶板による大規模な陶壁を30面以上制作して、萩焼造形の新分野に炎箔の仕事の集大成をしようとしている。
小学生向け
説明
 大和保男さんのおじいさんを大和作太郎といいます。作太郎さんは、100年前に県庁のある山口で萩焼を始めるために、一家で萩から山口の宮野に移って来ました。
 作太郎さんは、原料の土(大道土)に地元の土を混ぜ合わて紅色のまだらもようの色をつくり出しました。山口の人は「ホタル」とか「ホシ」と呼んでめずらしがりました。
 お父さんは大和春信さんです。お父さんから萩焼のつくり方を小学校4年生から習い始めました。中学生時代には、一人前の職人として一日に湯のみ茶わんを300個作ったそうです。                              
 保男さんは、塩を使って赤茶色になる新しいうわ薬を作り出して評判になりました。 また、萩焼を使った大きな壁画を30面以上制作しています。 
画像<(萩焼)大和保男>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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