一般向け 説明 | 山口萩焼は、萩松本・松緑窯の大和作太郎が1892年(明治25)に山口に進出し、山口宮野に造られた松緑窯に始まる。 作太郎は、主な原料土の大道土に地元の土を数種類混ぜ合わす事により、「ホタル」とか「ホシ」と呼ばれる、まだら状の紅色の発色を新たに創り出した。 大和保男は、作太郎の孫にあたる。父は大和春信(春信松緑窯)で、父から萩焼の指導を受け中学生時代には、一人前の職人に成長していた。 茶席用の陶器の製作では、鬼萩土を使い塩釉を応用した「炎箔」の技法の開発が評価を受けている。 また、萩焼を素材とする陶板による大規模な陶壁を30面以上制作して、萩焼造形の新分野に炎箔の仕事の集大成をしようとしている。 |