一般向け 説明 | 敷山城跡は、南北朝時代(1336~1392年)、周防国衙の役人であった清尊・教乗や大内弘世の叔父弘直が足利尊氏方と戦った山城跡。防府市牟礼の矢筈ヶ岳(標高460m)の南面8合目付近に位置する。 1333年(元弘3)、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒し建武の新政がはじまったが、これに反対する足利尊氏らが1336年(延元元)に兵を挙げ、天皇方は比叡山に追いやられた。同年、周防国衙の役人であった清尊・教乗らは天皇方に呼応して兵を起こし、敷山の寺に立て籠もったが、尊氏は一族の上野頼兼に命じて敷山を攻め、清尊・教乗は自害、敷山城は落城した。 敷山城は、本来、敷山本堂と呼ばれる寺院の施設を城として利用したもので、城郭らしい遺構はない。俗に十二段と呼ばれ、その最上段が本堂跡で、そこには現在も方形の石垣が巡らされ礎石も残っている。その南に梵字岩と呼ばれる大岩があるが、その岩には「文永二年」(1265年)の文字が刻まれていることから、敷山の戦いには関係ないとみられている。 |