一般向け 説明 | 1186年(文治2)、東大寺再建に当たり、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)らが、佐波郡の山間地を造営用材の主要採取地として材木を伐採し奈良へ送った。こうした材木の運搬はすべて佐波川の流れが利用されたが、水深が浅いため、川を堰き止め材木がよく流れるように工夫をこらした。それが関水である。 関水は、水を堰き止めて水位を上げ、その一部を幅約5.4m開いて細長い水路を造り、材木を流すための流材道とし、川底に平たい石を敷きつめたもの。材木はこの関水を通過させることによって下流に送ることができた。 佐波川の関水は、もともとおよそ 百十八ヵ所あったといわれる。その多数は壊れたが、現在では山口市徳地船路の第一・第二の関水がそのままよく残っている。 |