一般向け 説明 | 江戸時代、周防・長門の2カ国を治めた毛利氏は、萩市の北西に位置する指月山を居城の地と定め、慶長9年(1604)から13年に築城した。 萩城城下町は、萩城の築城に伴って整備が開始され、その規模は18世紀初めころにほぼ定まった。松本川と橋本川にはさまれた三角州に造られた町で、ほぼ現在の萩市の市街地にあたる。町は碁盤の目のように区画され、中下級の武家屋敷や町家が軒を連ねていた。このうち、呉服町と南古萩町の約6haが史跡に指定されている。 呉服町筋は藩主の通行する御成道(おなりみち)にあたり、通りに面しては藩御用達の豪商菊屋家の屋敷(国指定重要文化財)が残る。通りの南側は武家住宅街で、高杉晋作旧宅跡、国指定史跡の木戸孝允旧宅などが残るとともに、なまこ壁の土蔵、門、土塀が連なって城下町としての特色ある景観を偲ばせる地区となっている。 |