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文化財の概要コンテンツ

文化財名称りしょうざんえいふくじあとせきとうば
利生山永福寺跡石塔婆
指定県指定
市町長門市区分有形文化財時代鎌倉時代
一般向け
説明
 高さ85.0㎝、最大幅59.6㎝、最大の厚さ16.8㎝の玄武岩の自然石で造られた塔婆。利生山の山麓の永福寺坂本坊跡地に建てられた薬師堂の前にある。倒れて埋もれていたが、1971年(昭和46)頃に発見され、その当時は「利生山板碑」として紹介された。その後、刻まれている銘文が注目され、「自然石塔婆」として紹介されたこともある。銘文の内容から、鎌倉時代の1229年(寛喜1)に物部守圀によってこの塔婆が造られたことがわかる。山口県内の年代がわかる銘のある石造物としては2番目に古い物である。守圀は、日置八幡宮の社殿を造った人でもある。また、永福寺は、平安時代の 997年(長徳3)に創建されたと伝えられているが、後に廃寺となり、江戸時代の1726年(享保6)に薬師堂が再興されて現在に至っている。一時、「利生山寺」の寺名を称したこともあり、一般には、寺跡地は「利生山」と呼ばれている。
小学生向け
説明
 高さ85㎝、最大幅59.6㎝、最大の厚さ16.8㎝の玄武岩の自然石で造られた塔婆で、倒れて埋もれていましたが、1971年(昭和46)ごろに発見されました。
 塔婆は、死者の冥福(死後の幸福)を祈るためのものですが、この石塔婆は、日置八幡宮の社殿を造った物部守圀が勧めて鎌倉時代の1229年(寛喜 1)に造られました。
 年代が分かる銘のある山口県内の石造物としては2番目に古いものです。
画像<利生山永福寺跡石塔婆>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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