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文化財の概要コンテンツ

文化財名称はぎおうかん
萩往還
指定国指定
市町萩市区分記念物時代江戸時代
一般向け
説明
  萩往還は、城下萩から明木(あきらぎ)、佐々並(ささなみ)、山口を経由して三田尻(みたじり)に至る全行程53㎞の街道。参勤交代の際、藩主はこの道を通って萩と江戸とを往復した。萩往還の行程には各所に以下のような関連遺跡がある。

○唐樋札場(からひふだば)跡(萩市):萩三角州のほぼ中央に位置している。この地は、萩往還はもとより、赤間関街道、山代街道、石州街道など、防長両国内における諸街道の起点とされるだけでなく、防長両国内の一里塚の基準となる点として位置づけられた。また、高札場として、近世期には萩藩や幕府からの触書が掲示された。

○悴坂(かせがさか)一里塚(萩市):一里塚は街道に1里(約4㎞)ごとに設けた里程の目標とした塚。悴坂の一里塚は、萩往還の起点となる萩の唐樋札場(からひふだば)から最初の一里塚にあたる。玄武岩で組み上げられ、内に土を盛った塚には昭和14年建立の標石が立つ。
 往還沿いにはこのほかに、上長瀬(かみながせ)の一里塚(萩市) 、一ノ坂の一里塚(山口市)などがある。

○悴坂駕籠建場(萩市):駕籠建場は藩主一行が小休止するために設けられた施設。悴坂には柴垣に囲まれた駕籠をおく台2基と便所が設けられていた。

○一升谷の石畳(萩市):一升谷は、炒り豆を食べながら歩くと坂を上りきるまでちょうど一升食べてしまうほど長くて急な坂であることから名がついた。石畳が敷き詰められており、往還の面影をよく止めている

○落合の石橋(萩市):長さ2.4m、幅1.7mの石橋で、山口県特有といわれる刎橋形式の橋。国の登録文化財に指定されている。

○国境の碑(萩市・山口市):板堂峠(いたどうとうげ)にある長門・周防の国境を示す花崗岩の碑。「南周防吉敷郡」「北長門国阿武郡」「文化五年戊辰一月建之」と刻まれている。

○六軒茶屋跡(一ノ坂駕籠建場跡)(山口市):萩往還最大の難所の途中に位置し、往還沿いに6軒の茶店があったことからこの名がある。藩主の休泊所である駕籠建場も併存する。

○宮市本陣兄部家(こうべけ)(防府市):兄部家は、鎌倉時代には合物座(あいものざ。塩魚や干魚類を扱う商人の組合)の長を勤めた商家で、江戸時代、その屋敷は大名や幕府役人などが宿泊する本陣として使われた。

○三田尻御茶屋跡(防府市):萩藩2代藩主毛利綱広が新築した公邸で、藩主の参勤交代や領内巡視の際にその宿舎になった。萩往還の終点。

○三田尻御舟倉跡(防府市):御船倉は藩主の御座船や軍船などが繋がれた倉。三田尻御舟倉は1611年(慶長16)に置かれた。現在は堀とこれに通じる水路の一部のみが残る。三田尻御茶屋から500 mの位置にあり、初期の参勤交代はここから船出した。

○住吉神社石造燈台(防府市):海上交通の安全を祈願するため、住吉神社の境内地に1863年(文久3)建立。高さ7.27mの灯籠型の石造灯台。
小学生向け
説明
  萩往還は、萩から山口市を通って防府市までいたる全行程53㎞の街道です。1604年(慶長9)に萩に城がつくられたあと、参勤交代のときなどに藩主がとおる街道として整備されました。山陰と山陽をむすぶ重要な交通路です。道筋には多くの史跡があります。 
画像<萩往還>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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