一般向け 説明 | 茶臼山古墳は柳井湾にのぞむ丘(標高80m) にある。古墳時代前期(4世紀末)の前方後円墳で県内三番目の規模である。明治25年銅鏡5枚が発見されたが、このうち2面が県内で伝えられている。うち1面は画文帯神獣鏡である。破鏡で推定径18㎝。中国製(六朝時代)で吉祥句「百身長楽」がある。もう1面は内行八花文鏡である。破鏡で推定径19.5㎝。古墳時代前期(4世紀末)の製作と考えられている。 また、他の1面はわが国最大級の単頭双胴怪獣鏡(面径44.8㎝、東京国立博物館蔵)である。 熊毛半島を含むこの地域には、前方後円墳が5基ある。これらの古墳は、瀬戸内海航路の東の重要な拠点におかれた周芳国(7世紀末に周芳から周防に改称)の支配者の墓と考えられる。大和政権は、この地域の支配者に前方後円墳を造ることを許し、大鏡を贈ることにより支配を強めていったと考えられる。 平成3~8年度の発掘調査により、この古墳が葺石(ふきいし、盛土の上に敷きつめられた石)・埴輪を伴う三段に築かれた整美な墳丘をもつこと、後円部に竪穴式石室などの埋葬施設をもつことなどが明らかになった。その際多量の埴輪片と鉄器類・玉類が新たに出土した。埴輪は推定総数140基で、円筒埴輪を主体に、家形埴輪など多彩な構成をなしている。長さ80㎝を超える大型の鉄刀・鉄剣や、多数の鉄刀子(小刀)、勾玉などは竪穴式石室に伴う副葬品である。これらによってこの古墳が古墳時代を代表する典型的な畿内型古墳であることがわかり、被葬者と畿内政権との強い結びつきが想定されることとなった。 |