文化財名称 | いさのばいやくようぐおよびばいやくかんけいしりょう 伊佐の売薬用具及び売薬関係史料 | 指定 | 県指定 |
市町 | 美祢市 | 区分 | 民俗文化財 | 時代 | 江戸時代 |
一般向け 説明 | 伊佐の売薬業(薬売り)の起源については、修験道の山とされる桜山(標高456m)にある南原寺(真言宗)に勤仕したものが江戸時代に始めたと伝えられる。 行商圏は、山陰・九州さらには関東・北陸まで及んでいたことが確認されるが、売薬業は富山など同業者との競合により次第に縮小し、幕末に30軒あった売薬業者も1919年(大正8)に13軒、1943年(昭和18)には最後の1軒も廃業に追い込まれた。 売薬業は富山・大和・近江でも行われており、修験者と深い関係を持ち製造技術や薬名なども共通するところが多いとされている。 本文化財は、江戸時代からの薬の製造から売薬・行商にかかわる用具及び文書・記録からなり、とりわけ文書・記録534点の遺り具合は抜群で、用具類も300点ほどが江戸時代のものである。 |
小学生向け 説明 | 薬売りといえば富山が有名ですが、美祢市伊佐にも150年前の江戸時代の終りごろには、30けんの薬売り業の家がありました。 売り先の範囲は、山陰・九州さらには関東・北陸まで広がりましたが、やがて富山などの薬売りとの競争などでだんだん衰えていき、60年前には最後の家もやめていきました。 江戸時代からの薬の製造から薬売りの道具や文書などの貴重な資料が、美祢市立図書館に伝えられています。 |