一般向け 説明 | 黒井一ノ瀬一里塚は、下関市豊浦町と旧下関市との境にあたる八本松峠から北へ100mほど進んだ旧赤間関街道沿いの緩斜面に立地しています。半球状に土を盛り、周囲に比較的小振りの石を塚の半分程度の高さにまで積上げています。斜面からの高さは約2mで、上部からみると径2.5mほどの円形をなしています。 この塚は、江戸時代、萩と赤間関(現在の下関)をつないだ3本の旧赤間関街道のうちのひとつ、北浦道筋沿線に設置されたものです。北浦道筋は全長24里19町20間(約104㎞)、萩藩主の御国廻(おくにまわり・領内巡見の意味)の際にも利用された主要道でした。 江戸時代、この塚は長府藩領の黒井村内にありました。萩から数えて21番目、赤間関からは5番目の塚に当り、記録によれば、塚木には「赤間関より四里十二丁 石見境仏坂より三十弐里 萩より弐十里」と記されていたといいます。 山口県教育委員会では平成5~7年度に赤間関街道を対象とする「歴史の道調査」を実施しましたが、その結果、この塚が北浦道筋沿線に唯一残るものであり、その保存状態も非常によいことが明らかになりました。 ちなみに、防長両国内の一里塚は、元治元年(1864)、萩藩の指示により塚木を取除いて「常盤木(常緑樹の意)」を植えることになりました。現在、黒井一ノ瀬一里塚の上部にはツバキが植わっており、幕末期における一里塚の姿をしのばせることも特徴です。 |