一般向け 説明 | 宰判(さいばん)とは、萩藩(長州藩)における郷村支配の単位で、代官の管轄する地域のことを指します。その宰判ごとに置かれた役所を勘場(かんば)といいました。代官は、日頃、萩城内の郡奉行所に勤めていましたが、原則として春・秋・冬の3度にわたり所管の勘場に赴きました。 勘場の建物は、基本的に代官所(代官の執務場所)等の主要施設と門・蔵・薪小屋等の附属施設で構成されていました。 宰判は、17世紀中頃には18あったとされています。奥阿武宰判はそのひとつで、阿武郡東部の19の村々(現在の阿武町・旧田万川町・阿東町・旧むつみ村・旧須佐町に相当)をその領域としていました。 奥阿武宰判勘場跡は、吉部盆地のほぼ中央に立地し、権現山(標高472m)南麓を拓いて造成されています。勘場敷地は、幅(東西)約62m、奥行(南北)約21mの広さで、井戸・池・石垣等の遺構がみられます。平成5年度には、むつみ村教育委員会により発掘調査が行われました。その結果、主要施設の面積は約126坪で、遺構は天保元年(1830)の建替え後のものと考えられることが明らかになっています。また、吉部市を通る石州街道(白坂道)と勘場とは通路で結ばれ、途中に12段の石段がしつられえられていることも確認されました。 県内には、本件以外に、吉田宰判勘場跡(下関市)、徳地宰判勘場跡(山口市徳地)などがありますが、奥阿武宰判勘場跡は、発掘調査を実施して主要施設の規模や変遷等を明らかにした唯一の事例として貴重なものです。また、近世の地方行政機関関連遺跡としてはじめて県史跡に指定されたものです。 |