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文化財の概要コンテンツ

文化財名称けんぽんちゃくしょく くまのほんじぶつ まんだらず つけたり おさめばこ
絹本着色熊野本地仏曼荼羅図  付 納箱
指定県指定
市町防府市区分有形文化財時代鎌倉時代
一般向け
説明
  絹地(きぬじ)に彩色(さいしき)で描かれた、縦139.5㎝、横70㎝の掛幅装(かけふくそう)の熊野曼荼羅です。 
 熊野信仰に基づいて、社殿で区切られた構図には、熊野十二所権現の本地仏(神の本来の姿である仏のこと)や修験道の開祖といわれる役行者(えんのぎょうじゃ)、さらに獅子と狛犬などが描かれています。  
 熊野信仰は、神道、修験道、仏教が混然と習合した信仰として成立しました。平安時代には天皇をはじめ宮廷貴族らによる熊野詣が次々と行われるようになりましたが、熊野詣は多大の日数や経費を要するため、鎌倉時代頃から宮廷や貴族らは日常の礼拝に供する目的で、熊野曼荼羅を描かせるようになりました。
 本件は鎌倉時代仏画の伝統的な技法を受け継いで、作品としての品格も高く、練達の絵仏師によるものと推測できます。作者は不明ですが、他の同種の作品との比較などから、鎌倉時代から南北朝時代にかけての制作と考えることができます。
 なお、納箱に慶長11年(1606)8月寄附との墨書があることから、江戸時代になって国分寺に寄進されたものであることがわかります。
小学生向け
説明
  たて139.5㎝、横70㎝の「熊野曼荼羅」という種類の絵です。 
 社殿で区切られたなかに、熊野十二所権現(熊野三山にまつられる神々の総称)の本地仏(神のもともとの姿である仏のこと)や修験道(しゅげんどう)をはじめたといわれる役行者(えんのぎょうじゃ)、ほかに獅子(しし)と狛犬(こまいぬ)などが描かれています。  
 熊野信仰は、神道、修験道、仏教が混ざり合わさった信仰として成立しました。平安時代には天皇をはじめ宮廷貴族たちによる熊野詣(もうで)が次々と行われるようになりましたが、熊野詣は多大の日数や費用が必要なため、鎌倉時代ごろから宮廷や貴族たちはふだんの礼拝のために、熊野曼荼羅を描かせるようになりました。
 この絵は鎌倉時代の伝統的な技を受けついでいて、すぐれた絵仏師によるものと推測できます。作者は不明ですが、鎌倉時代から南北朝時代にかけて描かれたものと考えられます。
画像<絹本着色熊野本地仏曼荼羅図  付 納箱>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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