一般向け 説明 | 銅山跡は、国定公園「秋吉台」の南東に位置し、東西1.6㎞、南北2㎞の山間地域にあります。そこに、奈良時代から昭和期にわたる採鉱跡と製錬跡が多く点在しています。 長登という地名も、「奈良登り」が転訛したものであるという伝承が古くからありましたが、昭和47年(1972)須恵器が発見されたこと、同63年奈良東大寺の発掘調査で大仏の料銅に長登銅山産が使われていたことが判明したことで脚光を浴びることになりました。 平成元年から10年間にわたり、美東町教育委員会が本格的発掘調査を行った結果、採鉱跡・製錬跡などの遺構や木簡など多数の遺物が発見されました。 この結果、この地に、8~10世紀にわたって長門国直轄の採銅・製錬の官衙跡が営まれていたことがわかって、古代の鉱山、銅の採掘・生産技術、律令国家による銅山経営の実態を具体的に把握することができることになりました。 大仏建立や和同開珎の鋳造などに銅を大量に供給するなど国家的な事業に密接に関連した遺跡として、また現在確認できる中ではわが国最古の銅山跡として高く評価されることになりました。 なお、墨痕を残す木簡203点については、有形文化財(歴史資料)「長登銅山跡出土木簡」として、既に平成13年9月14日で県指定が図られています。 |