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文化財の概要コンテンツ

文化財名称きゅうはぎはんこうめいりんかん
旧萩藩校明倫館
指定国指定
市町萩市区分記念物時代江戸時代
一般向け
説明
 萩藩校明倫館は、享保3年(1718)、家臣の文武修業を目的に、萩藩5代藩主毛利吉元により萩城三の丸の平安古惣門西隣(追廻し筋)に建設されました。その後、嘉永2年(1849)、13代藩主毛利敬親により江向の地(現在の萩市立明倫小学校敷地)に移転・新築されています。
 これまで、明倫館に関しては、「水練池」(すいれんいけ。水中騎馬の練習場)、「有備館」(ゆうびかん。剣術と槍術の稽古場)、「明倫館碑」(明倫館創立の由来などを記した石碑。2基)が国史跡に指定されていました。
 今回、新たに聖廟の跡地や発掘調査で確認された南門跡と既指定地を結ぶ地域9,570.07㎡が史跡地として追加指定され、あわせて、史跡の名称が「旧萩藩校明倫館」に変更されました。
 なお、指定地内に建つ明倫小学校本館は国の登録有形文化財となっています。
 また、南門など明倫館遺構5件が市の有形文化財(建造物)に指定されています。
小学生向け
説明
 萩藩校明倫館は、1718年、家臣の学問・武芸の修業を目的に、萩藩5代藩主の毛利吉元(もうりよしもと)により萩城の平安古惣門(ひやこそうもん)西隣に建てられました。その後、1849年、13代藩主毛利敬親(もうりたかちか)により江向(えむかい。いまの萩市立明倫小学校敷地)に移転・新築されています。
 これまで、明倫館については、「水練池」(すいれんいけ。水中騎馬の練習場)、「有備館」(ゆうびかん。剣術と槍術のけいこ場)、「明倫館碑」(明倫館創立の由来などを記した石碑)が国史跡に指定されていました。
 今回、新たに聖廟(せいびょう)の跡や発掘調査で確認された南門跡とこれまでの指定地を結ぶ地域が追加され、あわせて、史跡の名称が「旧萩藩校明倫館」に変わりました。
 なお、指定地内に建つ明倫小学校本館は国の登録有形文化財となっています。
画像<旧萩藩校明倫館>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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