一般向け 説明 | 赤間硯の起源は不詳であるが、その歴史はかなり古く、赤みを帯びた紫色の硯(原石は赤色頁岩)としてよく知られ、我が国を代表するものである。硯は、筆墨に頼った時代の必要不可欠な文房具として、江戸時代を頂点に赤間(下関市)や厚狭(山陽小野田市)に多くの硯師(硯屋)を輩出させて盛んに生産され、藩のお抱え細工人となる者もあったが、その後は生活の近代化により急速に衰退し、硯制作者は今や指折り数えるまでに減少している。 そんな中にあって、堀尾信夫は、堀尾卓司(たくじ。本名は薫、1910-1986、戦後における赤間硯制作の第一人者)の次男としてその技術を継承し、昭和46年(1971)日本伝統工芸展初入選、平成11年(1999)同展日本工芸会奨励賞受賞、山口県選奨受賞、翌年は日本伝統工芸展鑑査委員と活躍はめざましいものがあり、赤間硯伝統技術の保存継承になくてはならない存在である。 実用本位や古典的な硯の制作を念頭に置きながらも、それに留まらない用美一体の斬新な硯の造形に新生面を切り開いている。また、技術の継承者が育ちにくい中で、後継者養成にも努めている。 なお、赤間硯は、昭和51年(1976)楠町の山口県赤間硯生産協同組合が通商産業(現 経済産業)大臣指定の伝統工芸品に選ばれている。 また、硯制作の無形文化財指定は、少なくとも都道府県レベルでは例がない。 |