一般向け 説明 | 桁行1間(けたゆき1けん)、梁間(はりま)1間、入母屋造りで、屋根は鉄板葺き、袴腰(はかまごし)が付いている。袴腰の北側に戸を設け、2階の縁(えん)には跳高欄(はねこうらん)が付いている。柱の芯々2.59m、棟高5.99m。妻飾りに雲状の文様が彫られるが、全体に組物や彫刻が少なく簡素な建物である。なお、鐘は昭和19年に供出して存在しない。 棟札によると、元文5年(1740)、重要文化財の正八幡宮本殿・拝殿・楼門及び丁屋(ちょうのや。山口県独特の様式を持つ本県を代表する近世神社建築として平成元年指定)と同時に建造されたことがわかる。 正八幡宮は、平安時代、宇佐から二島(山口市秋穂二島)に勧請され、室町時代に大内氏の手で現在地に移された古社である。西向きの社殿をはじめ、社殿に向かって東西に延びる長い参道に石灯籠が林立するほか、寛文2年(1665)建造の古い石造の鳥居が建つなど、境内は偉観を呈している。 その中で、本件は社殿の南西側にやや離れて建つものの、社殿と同時の建造物として、平成3年、秋穂町指定有形文化財となった。 本来、屋根は曽木葺(そぎぶき)などと思われ、袴腰も鉄板に改められているなど、原形が損なわれているが、重要文化財の社殿と同時の建築で、県下に袴腰付き鐘楼の遺存例が少ない上に、神社に遺る例もほとんどないなど神社の歴史的景観を考える点から貴重である。しかも、建造時期が元文5年と、明確で古いところにも価値がある。 |