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文化財の概要コンテンツ

文化財名称けんしょういんじゅうもつ じでんもうりもとなりきしん
建咲院什物(寺伝毛利元就寄進)
指定県指定
市町周南市区分有形文化財時代室町時代
一般向け
説明
  建咲院は、文明14年(1482)に死去した大内氏の重臣陶弘護(すえひろもり)の菩提を弔うため、嗣子の興房(おきふさ)が創建した曹洞宗の寺院である。その後、永禄2年(1559)、陶氏の菩提寺である龍文寺(りゅうもんじ。周南市長穂)第八世隆室知丘(りゅうしつちきゅう)が、同寺に隠居して中興の祖となった。
 本件は、付(つけたり)も含めて同寺に伝来した什物で、寺伝によると毛利元就から建咲院の隆室知丘に寄進されたものである。
(1)九条袈裟(くじょうけさ)
 九条からなる袈裟。縦は左端で134.5cm、中央部で99.5cm、右端で121.5cm、横は下辺で369.0cm。田相(でんそう)部は黄地牡丹唐草文金襴(きじぼたんからくさもんきんらん)、縁(えん)及び角帖(かくちょう)等には紺地雲龍(こんじうんりゅう)花唐草文金襴、後牌(はい)及び前牌には紺地雑宝(こんじざっぽう)牡丹唐草文金襴をそれぞれ用いる。また、後牌には浅黄色平打ちの紐を、前牌には黒漆塗りの環(かん)を付ける。
 袈裟裏に、元就から同寺再興料として寺領55貫が安堵(あんど)された永禄3年(1560)4月25日(建咲院文書「毛利元就寄進状」)と同じ期日に、元就が寄進した旨の墨書銘がある。金襴は中国の明で製作されたもので、この時期の基準的な作例として貴重である。
(2)血脈袋(けちみゃくぶくろ)
 法門相承(ほうもんそうじょう)の系図を入れた袋で、幅は14.2cm、深さは14.5cm、襠(まち)幅は4.0cm、掛け紐の長さは89.0cm。
 ほぼ正方形で、蓋付き、首から掛けるように紅丸打ちの掛け紐を付ける。表地は赤茶地の大内菱と唐草を織りだした朱珍(しゅちん)が使われている。朱珍は、絹織物の一種で、中国では明代に入って盛んに織られるようになり、室町時代にはわが国にも輸入されるようになった。この当時、日本ではまだ朱珍は織られていないので、中国より輸入された朱珍を用いて仕立てたものと考えられる。
 また、裏地には元就が寄進した旨の墨書(ぼくしょ)があったとされるが、ほとんど朽損しているため現状では判読できない。
(3)坐具(ざぐ)
 僧侶が儀式等で座るときに敷く敷物。幅は87.0cm、長さは112.0cm。
 麻地に茶地雲文銀襴の縁をめぐらし、四隅に共裂(ともぎれ)の銀襴の角帖を縫い付ける。
 銀襴は渦巻きが入った縦長の雲を青海波(せいがいは)風に重ねた文様が織り出され、中国製であるが地合は粗く、袈裟に使用されている金襴ほど上質ではない。

 (1)~(3)は、いずれも中国製の織物で、保存状態も良好であり、県内はもとより全国的にも、室町時代後半の染織品の仏具として希少価値を持つ。
 なお、本件は昭和49年に、新南陽市(現周南市)指定文化財(工芸品)として指定されているが、この他にも以下の3点が、元就が寄進したとの寺伝に従い一括指定されている。
 
 付(つけたり)
 (1)念珠(ねんじゅ)
   水晶と菩提樹(ぼだいじゅ)の実を交えた念珠で、総長は111.0cm、水晶珠総数は60顆、菩提子珠は64顆。
 (2)香合(こうごう)
   抹香を入れる木製の円形容器で、総高は6.5cm、径は22.0cm。
   合口造りとし、牡丹を刻して黒漆、朱漆を塗り重ねた、いわゆる鎌倉彫である。
 (3)瓢形水晶(ひさごがたすいしょう)
   総高は6.0cm、大きい方の胴の周囲は13.0cm。
   瓢形をした水晶で、瓢の口元の切り口は欠けたようになっている。

 元就寄進とする寺伝には一部史実と一致しない点もあるが、前述のとおり九条袈裟には史実に裏付けられた年紀の墨書も確認でき、寺で一体のものとして長く大切に継承されてきたことに鑑み、併せて指定対象とする。
 なお、以上の6点は、平成9年開催の「毛利元就展-その時代と至宝-」(NHK主催)で、一括展示されている。
小学生向け
説明
  建咲院は、1482年に死去した大内氏の家臣陶弘護(すえひろもり)の死後の幸福を願い、あとつぎの興房(おきふさ)が建てた寺です。その後、1559年、陶氏代々の寺である龍文寺(りゅうもんじ。周南市長穂)の住職隆室知丘(りゅうしつちきゅう)が、建咲院に隠居しました。
 建咲院什物はこの寺に伝わる道具類で、毛利元就から建咲院の隆室知丘に寄付されたものと伝えられています。
(1)九条袈裟(くじょうけさ)
 布を9つつなげてつくられている袈裟(僧の服)です。牡丹(ぼたん)や唐草(からくさ)などのもようの金襴(きんらん。金糸を使った織物)が使われています。
 袈裟の裏に、元就が寄付したという意味のことが墨で書かれています。金襴は中国の明で製作されたものです。
(2)血脈袋(けちみゃくぶくろ)
 仏教の教えを受け伝えてきたという系図を入れた袋です。
 ほぼ正方形で、ふたがつき、首からかけるように紅色のひもをつけています。表地は赤茶地の大内菱(びし)と唐草のもようの朱珍(しゅちん)が使われています。朱珍は、絹織物の一種で、中国では明の時代に盛んに織られるようになり、室町時代にはわが国にも輸入されるようになりました。この当時、日本ではまだ朱珍は織られていないので、中国より輸入された朱珍を使ってつくられたものと考えられます。
 また、裏地には元就が寄付したという意味のことが墨で書かれていたといいますが、いたんでもとの形を失っているため、いまでは読むことはできません。
(3)坐具(ざぐ)
 僧が儀式などで座るときに敷く敷物。幅は87cm、長さは112cm。
 麻の布に銀襴(ぎんらん。銀糸を使った織物)でふちどってあります。
 銀襴は渦巻きが入ったたて長の雲を青海波(せいがいは。波もようの一つ)風に重ねたもようが織ってあり、中国製ですが、袈裟に使われている金襴ほど上質ではありません。

 (1)~(3)は、すべて中国製の織物で、保存状態もよく、県内はもとより全国的にも、室町時代後半の染織品の仏具としてめずらしく貴重です。
 この他にも以下の3点が、元就が寄付したものと伝えられています。
 
 付(つけたり)
 (1)念珠(ねんじゅ)
   水晶と菩提子(ぼだいし。菩提樹(ぼだいじゅ)の実)を交えた念珠(じゅずのこと)で、長さは111cm、水晶玉の数は60粒、菩提子玉は6粒です。
 (2)香合(こうごう)
   抹香(まっこう。仏前に使う香(こう))を入れる木でできた円形容器で、高さは6.5cm、直径は22cm。
   牡丹もようを彫って黒うるし、朱うるしをぬり重ねた、鎌倉彫と呼ばれるものです。
 (3)瓢形水晶(ひさごがたすいしょう)
   高さは6cm、大きい方の胴の周囲は13cm。
   瓢(ひょうたんなどの実)の形をした水晶で、瓢の口元の切り口は欠けたようになっています。
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