文化財名称 | はぎしささなみいちでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく 萩市佐々並市伝統的建造物群保存地区 | 指定 | 国指定 |
市町 | 萩市 | 区分 | 重要伝統的建造物群保存地区 | 時代 | 江戸時代 |
一般向け 説明 | 萩市は山口県北部、日本海側に位置する。佐々並市の集落は、萩市街から南東へ約15km離れ、中国山地の山間を流れる佐々並川の南北両岸に広がる。 慶長9年(1604)、萩へ入城した毛利輝元は、萩藩内の主要街道として、萩と瀬戸内海側の三田尻を結ぶ萩往還を整備した。佐々並市はこの時に設置された宿駅の一つで、慶長年中には藩主が休泊する御茶屋を起点に町並みが成立したとみられる。 江戸時代の佐々並市は、往還沿いに茅葺の主屋が建ち並び、周辺には田畑が広がっていた。町並みには御茶屋とともに、上級藩士などが宿泊する御客屋や人馬継立てをおこなう目代所があり、江戸時代を通じて、萩藩の宿場町として維持された。 保存地区は、東西約850m、南北約1,420m、面積約20.8haの範囲で、江戸時代の佐々並市全域と国指定史跡萩往還に沿った棚田を含む。 地区内には、幕末から近代にかけての茅葺や赤い石州瓦で葺かれた主屋が残り、萩往還に沿ってまとまりある町並みを形成している。町並みへ下る往還沿いには棚田の石垣が多く残り、山から集落に引かれた水路とともに、山間に立地する集落の独特な景観を形成している。 萩市佐々並市伝統的建造物群保存区域は、江戸時代の宿駅施設等が失われているものの、御茶屋を起点として成立した町割が良く残り、往還沿いに混在して残る茅葺や石州瓦で葺かれた主屋が周囲の棚田等と一体となって、萩藩の主要街道であった萩往還の宿場町としての歴史的風致を今日に良く伝え、我が国にとって価値が高い。 |
小学生向け 説明 | 萩市は山口県北部、日本海側にあります。佐々並市の集落は、萩市街から南東へ約15km離れ、中国山地の山間を流れる佐々並川の南北両岸に広がります。 1604年、萩へ入城した毛利輝元(てるもと)は、萩藩内の特に大切な街道として、萩と瀬戸内海側の三田尻を結ぶ萩往還(はぎおうかん)を整備しました。佐々並市はこの時におかれた宿駅(しゅくえき。旅人の宿泊や荷物運搬のための施設があった所)の一つで、1615年頃までには、藩主が休息・宿泊した御茶屋(おちゃや)を出発点に町並みができあがったようです。 江戸時代の佐々並市は、往還沿いに茅葺(かやぶき)の家が建ちならび、まわりには田畑が広がっていました。町並みには御茶屋とともに、上級藩士などが泊まる御客屋(おきゃくや)や目代所(もくだいしょ。役人などが利用する人夫や馬などを用意した役所)があり、江戸時代を通じて、萩藩の宿場町でした。 保存地区は、東西約850m、南北約1,420m、面積約20.8haの範囲です。 地区内には、幕末から近代にかけての茅葺や石州瓦の屋根の家が残っています。まわりには棚田の石がきが多く残り、山から集落に引かれた水路とともに、まとまりのあるけしきを形づくっています。萩往還の宿場町としてのようすをいまに伝えて、とても価値があるものです。 |