一般向け 説明 | 手鑑とは、筆跡鑑賞のために古人の筆跡(古筆)を蒐集したもので、手鑑「仮御手鑑」(以下「仮御手鑑」)は、長府藩(萩藩の支藩の1つ)で作られたものである。 「仮御手鑑入記御根帳」(かりおてかがみいれきのおねちょう)は、「仮御手鑑」に収められた古筆類の目録である。同帳の表紙に「安永二年 巳十二月」と記されていることから、「仮御手鑑」及び「仮御手鑑入記御根帳」の作成年代が明らかとなる。 「仮御手鑑」の内容は、短冊・色紙・切の古筆174点及び歌句が添えられたやまと絵を伴う色紙12点の計186点であり、古筆の主なものは、中世から近世に活躍した文化人の歌句である。 「仮御手鑑」は、明治22年(1889年)当時の長府毛利家が所蔵する道具類について記した「明治廿二年一月改正 毛利家什物書画目録 第六号長棹」(下関市歴史博物館蔵)に「仮御手鑑 一折箱入」と記載されていることから、長府毛利家の旧蔵であったことが知られる。 「仮御手鑑」は、その名が記すとおり「仮」にまとめられたものであり、また「手鑑」の前に「御」を冠することから、高貴な身分の者、おそらくは長府藩主の命を受け、作られたものであったと考えられる。また、手鑑が藩主に披露された際には、藩主がそれに新たな名を付すはずであるが、「仮御手鑑」の名のまま、今日まで伝わっていることから、何らかの理由で披露できなかったことと推測される。 「仮御手鑑」に所収の古筆類11は、金銀の箔を散りばめた打曇料紙や、金銀泥下絵料紙、雲母で光沢を付けた彩色料紙・蝋箋などが料紙として用いられ、全体に質がよく、贅を凝らしたものである。 これらのうち、大内義隆主催の和歌会において、義隆の家臣やその支配下にある神職者たちが詠んだ和歌45点は、後世の写しではなく、義隆当時のものであり、大内氏の文芸活動を示す数少ない原資料として評価される。 また、短冊163点のうち、104点(大内氏関連の短冊45点を含む)は、古歌の写しではなく、室町時代から江戸時代初期にかけての歌句であり、多くが「仮御手鑑」が初出と考えられる。その作者は、室町後期から近世初期の天皇・公卿・連歌師等で、こうした人々のオリジナルの作品を多数含む点においても、「仮御手鑑」は、連歌に造詣が深かった初代藩主秀元、堂上歌壇に接した3代藩主綱元、俳諧や狂歌でも名を成した11代藩主元義、近代の宮中歌会始で講師をつとめた元敏等を輩出した、長府毛利家旧蔵の手鑑として相応しいものであるといえる。 やまと絵を伴う色紙12点(絵部分が散逸した2点を含む)は、歌句に合わせた画題を京の絵師等に別注したもので、「仮御手鑑」に所収できる大きさで歌句の料紙、やまと絵部分の色紙に合わせて作品を誂えた、手の凝ったものである。 以上、「仮御手鑑」及び「仮御手鑑入記御根帳」は、中世の大内氏や近世の長府藩の文化活動を知る上で貴重なものであり、また、今後の古筆研究に寄与することが期待されるものであることから、山口県指定文化財として相応しいものである。 |