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文化財の概要コンテンツ

文化財名称にしきがわかりゅういきにおけるきんたいきょうといわくにじょうかまちのぶんかてきけいかん
錦川下流域における錦帯橋と岩国城下町の文化的景観
指定国指定
市町岩国市区分重要文化的景観時代江戸時代
一般向け
説明
 本文化的景観は、岩国城下町を由来とする。この城下町は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いのすぐあと、軍事的緊張が残る周防と安芸の国境付近に、旧山陽道と瀬戸内海を見渡せる山を城山として開かれた。藩主居館や諸役所、重臣の屋敷等が置かれる城山の麓と、中下級の家臣屋敷や町人町等が置かれる岩国山の麓を、錦川が大きく隔てることを特徴とする城下町である。
 城下町整備における護岸や水路、各時代の建造物等には、河川氾濫や内水氾濫に対する備えと共に、川と密接に関わる時代ごとの暮らしが表れる。
 それを代表する一つが錦帯橋である。河床が安定した平瀬を選び、流されない橋を目指し、延宝元年(1673)に当時の建築土木技術の粋を集めて架橋されたもので、登城路と大手虎口を直線的に繋ぐ。その独特な姿は周囲の自然と共に景勝をなし、名所となって物見の賑わいをもたらしてきた。また、それが経済活動や文化活動を支え、城下町の趣を伝える町並みに、川を眺める座敷を持つ木造三階建の旅館、時代の特徴を示す店舗、桜並木等の新たな景観を調和的に生み出してきた。人々の環境保全の努力も伴い、近世の刷物に描かれる風景が良好に引き継がれている。
 自然の特性を踏まえた開発が都市の個性を生み、往来の賑わいを生み、産業を育むという連関を示す独特な事例として貴重である。
小学生向け
説明
 この文化的景観は、関ヶ原の戦い(1600年)のすぐあとに、周防と安芸の国境付近に開かれた岩国城下町を由来とするものです。この城下町は、重臣の屋敷等が置かれる城山の麓と、中下級の家臣屋敷や町人町等が置かれる岩国山の麓を、錦川が大きく隔てることが特徴です。
 城下町整備における護岸や水路、各時代の建造物等には、河川氾濫等に対する備えと共に、川と密接に関わる時代ごとの暮らしが表れています。
 それを代表する一つが錦帯橋です。錦帯橋はその独特な姿により名所となり、地域に賑わいをもたらしてきました。その賑わいにより、城下町の町並みに、木造三階建の旅館、時代の特徴を示す店舗、桜並木等の新たな景観を調和的に生み出されました。人々の景観を守る努力もあり、江戸時代の刷物に描かれる風景が良好に残されています。
画像<錦川下流域における錦帯橋と岩国城下町の文化的景観>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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