一般向け 説明 | 東光寺は萩市椿東にある。長州藩主毛利吉就が開基で創立した黄檗宗の寺院である。伽藍は西に向き、正面の総門を入ると三門、大雄宝殿がほぼ一直線上に並び、鐘楼は大雄宝殿の北脇にあって南面する。総門、鐘楼、大雄宝殿の三棟は1693年(元禄6)から1698年(元禄11)の間に建立されたものであり、三門は遅れて1812年(文化9)に竣工した。 大雄宝殿は桁行が正面五間、背面三間、梁間四間、一重裳階(もこし)付の仏殿で、正面一間通りは吹放ちである。屋根は本瓦葺きで、棟の中央に宝珠、両脇に鯱(しゃち)をのせる。軒は主屋は扇垂木、裳階は平行垂木である。内部は土間で、天井は中央部に格天井を張り、その周囲は化粧屋根裏となっている。黄檗宗建築特有の本堂形式である。 鐘楼は現在懸かっている鐘の銘に、元禄7年(1694)とあるから、鐘楼もその頃の建立と見てよい。もと伽藍の中心線を境に南側に建てられていたものを、1940年に現在地に移し、一部を改造したという。黄檗宗建築特有の裳階付で、主屋の組物などは大雄宝殿と同じ手法である。裳階は改造が大きく、現状は四周を壁としているが、もとは正面一間通りが廻廊で接続していた。 三門は1696年(元禄9)の東光寺伽藍図にはまだ描かれていない。現在の三門は棟札によると、1811年(文化8)7月に斧始め、翌年9月に竣工したとわかる。桁行三間、梁間三間の二階二重門である。左右に山廊を配し、手法は禅宗様を基調としており、巨大な建物である。二階内部には十六羅漢をまつっている。 総門は掲げられている扁額に元禄6年(1693)の銘があるので、門もその頃の建立とおもわれる。桁行三間、梁間二間で、中央部に一段高く切妻造りの屋根をかけて、大棟上に怪魚マカラを飾っている。黄檗宗総門の形式を示す建物である。 |