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文化財の概要コンテンツ

文化財名称やしろのつるおよびそのとらいち
八代のツルおよびその渡来地
指定国指定
市町周南市区分記念物時代
一般向け
説明
 毎年10月下旬になると、山口県の八代に遠くシベリアからナベツルが渡来し、3月上旬まで八代で越冬する。八代は、周囲を小高い山に囲まれた標高300m~350mの小さな盆地で、本州で唯一のツル渡来地である。
 江戸時代までツルは各地に渡来していたが、明治時代になると乱獲され始め、安全に越冬できる場所がなくなった。ところが、八代の人々はツルを手厚く保護し、自発的に狩猟も禁止したため、ツルがだんだん集まってきたと考えられる。八代の人々の自然を大切にした生活とツルが好む環境が一致していたとも言える。昭和15年頃には300羽以上の渡来数を記録している。
 その後、渡来数は直線的な減少を続け、ここ数年は20羽前後となっている。八代のツルは、昼間は盆地の水田を餌場として生活し、夕方になると盆地から離れた谷間の小さな水田やハゲ山に移動してネグラにするという特有な生活をしている。しかし、米が余り、国が米の生産量を少なくする政策をとったため、谷間の小さな水田は真っ先に耕作されなくなり、木が生え、ネグラとして使えなくなっていた。燃料としてガスや石油を使うようになったため、山の木を伐採して使う必要が無くなり、はげ山も無くなった。盆地内でも耕作されない水田が増え、ツルが餌を食べる場所も減っていた。
 そこで、熊毛町(現周南市)は国・県の補助を受けて、ネグラの水田を買上げ、ツル保護団体、一般のボランティアの人々と協力して、ツルが安心して休めるよう毎年ネグラ整備をしている。一部ハゲ山も復元した。また、餌場の水田の一部を買上げ、ツルがネグラに帰った後、餌となる穀物(麦、籾)を餌場に撒いている。新しい「八代の人々とツルとの共生」が始まっているとも言える。このような保護活動の結果、八代はツルが40~60羽来ても大丈夫な環境に戻ったと考えられている。
 しかし、渡来数の減少はなかなか止まらない。実は、八代で越冬してシベリアに帰った幼鳥は、翌年以降八代に戻らないため、八代には若い成鳥が来ないのである。したがって、現在渡来している成鳥が死ぬとだんだん渡来数が減少するのである。山口県は、熊毛町、下松市、徳山市とともに、若いツルを八代に呼び寄せる事業を平成10年度から始めている。
小学生向け
説明
 渡来地(とらいち)は、周囲を小高い山でかこまれた標高300~350mの八代盆地(やしろぼんち)とその周辺で、400ヘクタールほどの水田があります。ナベヅルの群は10月の後半に渡って来て、翌年3月前半までの冬のあいだ、ここで過ごします。日中、ぼん地の中でえさを食べ、夜はちかくの山中の小さな水田に一団となって休みます。ナベヅルはシベリア東部、中国東北部などで繁殖(はんしょく)し、朝鮮(ちょうせん)半島を通り、対馬(つしま)海峡をわたって、八代にくるものと考えられています。
昭和15年頃には300羽以上の渡来数がありましたが、ここ数年は20羽を切ることもあります。
ツルが昔のようにたくさん来るように、山口県、周南市、下松市、ツル保護団体、地元のみなさんが力を合わせてがんばっています。
画像<八代のツルおよびその渡来地>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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