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文化財の概要コンテンツ

文化財名称みしまうしさんち
見島ウシ産地
指定国指定
市町萩市区分記念物時代
一般向け
説明
 見島は萩の北西方44.3kmにある周囲18kmの孤島である。この島で古くから飼育されている見島牛は、平均すると雄の体高130cm、体重488kg、雌の体高113cm、体重266kgほどで、一般的に飼育されている黒毛和牛と比較すると体格は小さく、毛色はかすかに褐色がかった黒色で、発育は遅く、成熟には5年以上を要する。性質は極めて温順で、病気にも強く、粗食に耐えるので農耕用として飼育されていた。これらの特徴は日本の在来牛の姿を伝えていると考えられている。
 1950年(昭和25年)には、島内で成牛359頭、子牛215頭が農耕牛として飼われていたが、農機具の機械化が進んだため飼育頭数が減少し、数年間で140頭の見島ウシと70戸の飼育農家が減少したこともあった。天然記念物滅失の危機感を覚えた地元青年たちが中心となって1962年(昭和37年)「保存協議会」を設立、1967年(昭和42年)には飼育農家全員を対象とした「見島牛保存会」が設立された。保存会・管理団体である萩市は、国(文化庁)・県の支援を受けて保護増殖に熱心に取り組んだが、飼育農家はさらに減少し、1975年(昭和50年)には成牛33頭までに激減した。
 萩市は、農耕牛で無くなった雌牛が運動不足となり、子牛を生産できなくなっていると考え、1977年(昭和52年)~1980年(昭和55年)に第一運動場を、さらに1992年(平成4年)~1994年(平成6年)までに第二運動場を国・県の補助を受けて建設した。そのほか、見島ウシの健康診断を実施して子牛の生産性を高めた。これらの保護増殖事業により、令和2年時点で、飼育頭数は約90頭までに回復している。
 また、見島ウシの肉質の良さが見直されたことを受けて、見島ウシの経済牛としての振興を含めた保存・活用方策が検討されている。
小学生向け
説明
 見島は萩(はぎ)から44km離れたところにある、周囲18kmのはなれ島です。この島で古くから飼育(しいく)されている見島ウシは、毛色がかすかに茶色がかった黒色をしています。発育はおそく、成熟には五年以上かかります。体格は小さいが体のつり合いはよく、性質はきわめておだやかで、病気にも強く、そ食にたえ、古くから日本で飼育されていた牛といわれています。
 昔は田を耕すために飼育されていましたが、機械を使うようになりだんだん飼育されなくなりました。1949年には約600頭も飼われていましたが、1980年には総数約35頭と激減しました。その後、島内に二つのウシの運動場をつくるなどして、2020年には約90頭まで回復しています。
 また、見島ウシの肉はたいへんおいしいことがわかり、注目されています。
画像<見島ウシ産地>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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