文化財名称 | なんれいしえつじゅうちくぜんしょうふくじしょさんのしょならびにごうこのしょ 南嶺子越住筑前聖福寺諸山疏并江湖疏 | 指定 | 国指定 |
市町 | 宇部市 | 区分 | 重要文化財 | 時代 | 室町時代 |
一般向け 説明 | ・絹本墨書筑州聖福寺江湖疏 一幅 延文四年の年記がある
東隆寺を開いた南嶺和尚を博多・聖福寺に招くことを依頼した記録である。南嶺和尚は聖福寺の招きを一度は辞退したらしく、重ねて招きたいので幾度も辞退されないようにと述べている。 県指定(書跡)の「南嶺和尚道行碑文」にいう南嶺和尚の博多・聖福寺入寺の史実を裏付ける貴重な資料である。 作者は不明であるが、漢文について相当に学識の深い僧の手になるものと思われる。
・絹本墨書筑州聖福寺江湖疏 一幅
東隆寺を開いた南嶺和尚を博多・聖福寺住持に招請した際の疏(上奏文)である。年月の記入はないが、その内容からして、「絹本墨書 筑州聖福寺 江湖疏」と前後して書かれたものと考えられる。 |
小学生向け 説明 | 南北朝時代の1359年8月、東隆寺を開いた南嶺和尚(なんれいおしょう)を博多・聖福寺に招くことを頼んだ記録です。南嶺和尚は聖福寺の招きを一度は断ったらしく、重ねて招きたいので幾度も断らないようにと述べています。 作者は不明ですが、漢文について相当に学識の深い僧の手になるものと思われます。南嶺和尚の直接の資料として重要です。 |