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文化財の概要コンテンツ

文化財名称きりやまかぶき
切山歌舞伎
指定県指定
市町下松市区分民俗文化財時代
一般向け
説明
 切山八幡宮の春祭や秋祭、御田道御幸祭などで上演される歌舞伎。
 江戸時代の宝暦年間(1751~1763)の初めごろ、切山のイノサコの長重良が京参りをして、竹本座の人形浄瑠璃による芝居や歌舞伎を見て帰って来た。その面白さが忘れられずにいたところ、ある夜、彼の枕元に白髪の神が現れて、「切山八幡宮の秋祭に歌舞伎芝居を作って奉納せよ。しからば、切山一帯は、五穀がよく実り、平和安泰となる。」というお告げがあった。そこで、彼は喜んで、長男の三四良に話すと、三四良も大いに喜び、京へ出掛けて、芝居の修行をした。3年後に帰郷し、村の若衆を集めて歌舞伎を教えたのが起源で、1757年(宝暦7)の秋祭には、掛小屋を作って上演されるほどになったと伝えられている。
 一時、農耕の不振から、祭りの行事も下火になったが、その後、春と夏にも行われるようになり、長重良の子孫の山本家で演技を伝承し、地方公開にも努めて、現在に至っている。
小学生向け
説明
 切山八幡宮の春祭や秋祭、御田道(御田頭)御幸祭などで上演される歌舞伎です。江戸時代の宝暦年間(1751~1763)の初めごろ、切山亥ノ迫の長重良の枕元に現れた白髪の神のお告げにより、長男の三四良が京で芝居の修行をし、3年後に帰って来て、村の若衆を集めて歌舞伎を教えたのが始まりと伝えられ、豊作と平和を祈って演じられます。
画像<切山歌舞伎>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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