一般向け 説明 | 伯耆国(現在の鳥取県)羽衣石城主・南条元続と毛利家臣・吉川元春との戦いに縁のある踊り。その発端は、1577年(天正5)10月から1582年(天正10)6月の間にあると言われ、3つの説があるが、「吉川古語伝」によるものが最も有力視されている。南条と吉川の攻防戦で、南条側は篭城に耐え兼ねて降伏した。そこで吉川は、出雲(現在の島根県)の平田に番固屋を造って南条方を収容した。月日が経つうちに、南条の人達が、「去年までは、盆に踊って楽しんでいた。」という話を家臣から伝え聞いた元春が、踊りを南条方から伝授させ、平田の鰐淵山で踊りを見た。それ以来、吉川藩では、錦見組、川西組、横山組と地名を付けて、少年の踊り子が編成され、旧暦の7月15日前後に、城中の藩主や一族の見物の前で踊られていたという。現在は、10月第2日曜日に行われる恒例の岩国祭に参加して、吉香神社に奉納する他に、市内数カ所で踊られている。 |