一般向け 説明 | 山口市洞春寺に蔵されている。ヒノキ材の寄木造りである。総高は71.6cm。円頂(えんちょう)で玉眼である。法衣を着し袈裟(けさ)をかける。両手はひざ上で上下に重ね、第一指の指先をつけ、いわゆる禅定印をむすんでいる。彩色はわりとよく残っている。義弘は大内氏25代の当主である。京都に出て幕政に参与し、将軍の命により山名氏清を討ち、また南北朝の和睦を周旋した。これらの功により西日本の旧領に加え、和泉・紀伊の地を得、その守護となった。また朝鮮とも交易して、強大な富を得た。この頃将軍足利義満は義弘の勢力の増大をおそれ、これを除こうとして義弘の拠っていた堺の城を攻めた。義弘は防戦したがついに力つき自刃して果てた。時に1399年(応永6)、義弘は44歳であった。 |