文化財名称 | こんじこんでいほけきょう 紺紙金泥法華経 | 指定 | 県指定 | 市町 | 山口市 | 区分 | 有形文化財 | 時代 | 平安時代 | 一般向け 説明 | 本紙は紺紙に銀で線を引き、これに金字で経文が書かれている。 遍明院は、はじめ盛光院と呼ばれ、1562年(永禄5)秋穂盛治が大内義弘、義興、義隆、義長および父・盛光の霊を祀るために建てたものであるが、江戸時代になって、毛利輝元の夫人(清光院)と同音であることをはばかり、今の寺の名前に改めた。 もとは、秋穂正八幡宮の社坊にあったが、明治初年の神仏分離令により、仏教関係の宝物が同院に移された。 県内で現存の写経としては、年代的にも古く貴重である。 | 小学生向け 説明 | この書は、青い紙に銀で線を引き、これに金字でお経が書かれています。 遍明院は、はじめ盛光院(せいこういん)と呼ばれ、1562年に秋穂盛治が大内氏一族や父・盛光の霊をまつるために建てたものです。が、江戸時代になって、毛利輝元の夫人(清光院・せいこういん)と同じ発音であることから、今の寺の名前に変わりました。 もと、秋穂正八幡宮にありましたが、明治初年に仏教関係の宝物が同院に移されました。県内に残っているの写経としては、年代としては古いものです。 時代は、平安時代後期です。 |
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