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文化財の概要コンテンツ

文化財名称おおうちしかんごうぼうえきいんとうかんけいしりょう
大内氏勘合貿易印等関係資料
指定国指定
市町防府市区分重要文化財時代室町時代
一般向け
説明
 室町時代、西日本において勢力を誇った守護大名大内氏が、朝鮮や中国との貿易に所用したと伝えられる遺品。銅印は鈕(つまみ)附の長方印で、「通信符」の右印に当たる。1453年(享徳2)に勘合貿易の公印として朝鮮で造られたもので、現存する唯一の遺品として注目される。「大宰大貳」「多々良朝臣」の2つの鉛印は、印文の書体などから、大陸で造られ大内持世時代に所用されたものと推察されている。「日本国王之印」の木印は、足利義満が明王から下附されたものと伝えられ、「左京兆亜中大夫多多良義長」の木印は、国内で作られたと考えられている。また、多々良義長証状等は5つの印の由来を伝えたもので、「大内殿勘合之御印判紙」1冊には、「宗廣公(萩藩6代藩主)御見合ノ時於明倫館頂戴シタル印判紙ナリ」という奥書(間違いないことを証明したもの)もある。いずれも、日本の中世における対外貿易の史実を証明する貴重な遺品である。
小学生向け
説明
 大内氏が、朝鮮や中国(明)との貿易に使ったと伝えられる印や証明書です。貿易では、正式な国の使いであることを確かめるため、二つに分けた通信符(つうしんふ)をつきあわせるという方法が行われました。
  日本(大内氏など)からは刀や硫黄、銅、扇などが輸出され、中国から永楽銭というお金や陶磁器、書物などを輸入しました。輸入品は日本では唐物として人気があり高い値段で売れたため、大内氏は大きな利益を得ることができました。
画像<大内氏勘合貿易印等関係資料>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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