文化財名称 | もうりてるもとかんけいしりょう 毛利輝元関係資料 | 指定 | 県指定 | 市町 | 防府市 | 区分 | 有形文化財 | 時代 | 江戸時代 | 一般向け 説明 | 毛利隆元の嫡男毛利輝元の遺品。輝元は、天下統一を進めていた織田信長や豊臣秀吉に対抗するが、後に和睦を結び、豊臣政権下では五大老のひとりに任じられた。 「唐冠二枚胴具足」(黒漆塗りの唐冠形の兜が付いている)や「陣羽織」は、秀吉から拝領したと言われるもので、豊臣家との深い因縁を表すとともに、南蛮文化の影響がうかがわれる桃山文化の一端を示すものとして貴重な資料である。日常所用具も大変珍しいもので、特に、眼鏡(老眼橋)はこの時代の遺品としては他に類例がない。さらに、硯石(赤間硯)は、「赤間関住大森土佐守頼澄」の銘があり、赤間硯の標本資料とも言えるものである。 | 小学生向け 説明 | 毛利隆元の長男で、毛利元就の孫にあたる毛利輝元(もうりてるもと)が残した品物です。「唐冠二枚胴具足(とうかんにまいどうぐそく)」や「陣羽織(じんばおり)」は、秀吉から贈られたと言われているものです。日常所用具も大変珍しいもので、特に眼鏡(老眼鏡)は、この時代の残っているものとしては例のないものです。また、硯石は、「赤間硯(あかますずり)」の標本資料ともいえるものです。 輝元は、中国地方を治め豊臣秀吉の下で五大老の一人となっていましたが、関ヶ原の戦いに敗れ、領地を周防国・長門国(今の山口県)に減らされました。 |
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