名称関連 | 文化財名称 | 美東町佐山の山神枡 |
要録名称 | 美東町佐山の山神枡 付 山神枡の納箱 荒神枡 納箱(文政十年小野半兵衛の銘がある) 納箱(小野半兵衛の銘がある) 山神祭・荒神祭関係史料 | |
指定関連 | 指定区分・種類 | 有形民俗文化財 |
指定年月日 | 平成4年5月29日 | |
所在地関連 | 所在地 | |
所有者関連 | 所有者 |
山神祭・荒神祭関係史料目録
名称 員数 法量(縦×横 cm) 備考
一 享保拾九年改荒神祭当屋人数付 一通 一四.七×四五
二 寛延四未ノ十月廿八日荒神祭当屋人数付 一通 二四×三三.五 折紙
三 宝暦拾二年未ノ十月廿八日荒神祭人数付 一通 二四.三×三三.二 折紙
四 安永六年酉ノ十月廿八日改之荒神社村祭人数筆並覚 一通 二五×三四 折紙
五 天明五巳ノ十月廿八日荒神祭改 一通 一二.五×三三.三 折紙綴
六 文化六年改荒神祭り当屋人数付 一通 二四.六×三四 折紙
七(一) 寛政六年寅ノ十月廿八日改之赤村荒神社御祭礼当屋之次第 一通 一二.六×三四 折紙 (一)~(四)一綴
(二) 文政八酉ノ十月廿八日儀定 一通 一二×三二.七 折紙
(三) 文政十年改之亥ノ十月廿八日荒神社御祭り 一通 一二.三×三三 折紙
(四) 弘化三丙午十月廿八日荒神社御祭り当屋 一通 一二.二×三三.三 折紙
八 慶応三卯十月廿八日改荒神社御祭礼儀定書 一綴 一二×三一.五 (一)~(十一)一綴
(一) 慶応三卯十月廿八日儀定覚
(二) 明治弐巳ノ十月廿九日改之儀定
(三) 明治三十年十月廿八日荒神祭覚并規則
(四) 天明六午之十月廿八日改之荒神社祭礼当屋之次第
(五) 文政八酉ノ十月廿八日儀定
(六) 天保十四卯十月廿八日喜左衛門方ニ而改之荒神社当屋之次第
(七) 文政卯年十月廿八日改之□惣司荒神社御祭礼当屋之次第
(八) 明和元年甲申十一月十五日山神祭当屋
(九) 天明八年戊申十一月十五日山神祭当屋人数付立改
(十) (年月日不詳)荒神社祭礼備物覚・山神社備物覚
(十一) 天保十四卯ノ十月廿八日喜左衛門方ニ而改之荒神社当屋之次第
九 (年月日不詳)荒神祭当屋人数付 一通 二四.三×三四.二 折紙
十 明治四拾年拾月廿八日改之荒神社御祭礼儀定書 一綴 三三.五×一二.五
十一 大正拾参年拾月廿八日佐山上講中荒神社当屋順次諸議定控帳 一綴 三四.五×一二.三
十二 昭和拾七年貳月改佐山部落会荒神祭覚帳 一綴 三四×一二.五
十三 荒神祭当番表 一枚 一四.七×三七.九 板製、厚さ一cm
山神舛は、今日、毎年11月28日(明治17年以来、それまでは旧暦10月28日)の佐山区(戸数33、人口約100人)の集会所で催される荒神祭(荒神社と犬藪社の祭事が一緒に行われ、佐山区民は普通「荒神祭」と称している)の中のお舛渡しで使われ、旧当屋から新当屋へ赤郷八幡宮の宮司を介して渡される。当屋は、昭和63年以来、上・中・下の3組合割当制の中で、5月5日の三島神社春祭、7月15日の生目八幡宮祭、9月1日の水神祭、10月5日の三島神社秋祭とも兼ね合わせて決定されている。昭和17年から昭和62年までは当屋番は6組合で割り当てられており、さらに昭和16年までは当屋は1戸に当てられていた。
本来お舛渡しは、大正洞の洞口にある犬藪社の山神祭(旧暦11月15日)の中で行われていたが、時期不明(史料№8-(6)には、「(明治)四年未ノ十月廿七日相済、舛藤永三蔵相渡」との記載が見え、また同№8-(8)(9)と総合して江戸時代末期と推定される)ながら、荒神祭の中に組込まれ、かつ、荒神祭でも舛が用意されるにいたったものと考えられる。山神祭・荒神祭の起源はともに不詳である。
山神枡の刻銘に見える杉山氏については、別紙『防長風土注進案』の記事が参考になるし、史料№8-(8)に「杉山七郎ヱ門」の名が8名中の筆頭に記載される。同№10の表紙に「当屋主 杉山兼蔵」とも見えるが、現在佐山地区に杉山家が数件ある。
また、納箱に見える小野半兵衛は、『防長風土注進案』赤村の項の「在宅御諸士御足軽以下并陪臣之事」14軒の筆頭に顔を出している。
(1)山神枡
○法量 方19cm、深さ7cm
<内法>方16.5cm、深さ6cm
○容積 今日の一升にほぼ相当する
○形状・品質
木製(材質は不明)の方形の枡。縁に摩滅防止用にあてられることの多い竹や鉄板はない。全面黒漆塗りである。側板及び底板は竹釘で連結される。
底板には割損や裂損あるいは虫損が見うけられる。
○刻銘 四周各面に次の陰刻銘がある。
「山神枡 氏子 繁昌」 「奉守印 天文九年 かのえね」
「十一月十五日 春道 伐 令作之」 「杉山(花押)」
○山神枡のみを収納する箱(表面黒漆塗り、蓋なし、方22.5cm、高さ15cm)が備わる。
(2)荒神枡
○法量 方17cm、深さ7cm
<内法>方13.5cm、深さ6cm
○容積 今日の枡に換算して約7合5勺に相当する
○形状・品質
木製(材質は不明)の方形の枡。山神枡と同じく縁に竹や鉄板は施されていないが、蓋(方16.5cm、厚さ0.5cm)が備わる。全面黒漆塗りであり、側板・底板は竹釘で連結される。蓋には割損がある。
○刻銘 蓋の表に次の陰刻銘がある。
「荒神社御舛 佐山氏子」
(3)納箱
○法量 縦18cm、横12cm、総高12cm
○形状・品質
木製(松材か)の長方形の箱。側板・底板は竹釘で連結される。底板は二重である。蓋が備わる。蓋
を含め表面は黒漆塗りである。虫損が著しい。用途は不明。
○墨書銘 底に次の墨書がある。
「文政十亥二月作之 小野半兵衛種徳 寄付」
(4)納箱
○法量 縦32cm、横23cm、総高14.5cm
○形状・品質
木製(杉材か)の長方形の上記(1)~(3)等一連の関係資料を収納する箱。側板・底板は竹釘で連結され、蓋が備わる。底は上げ底で、底板に孔が4つうがたれる。蓋を含め表面は黒漆塗りである。
○墨書銘 底の内側に次の墨書がある。
「小野半兵衛種徳世話 改之」
(5)山神祭・荒神祭関係史料 別紙目録の通り
(1)当該文化財は、昭和53年1月21日付けで美東町指定文化財に指定されている。種別は有形民俗文化財、名称は佐山部落山神升及び当屋記録。
(2)当該文化財は、昭和61年7~8月、山口県山口博物館が開催した「はかる-計量の歴史-」で展示されている。
(3)昭和63年7月、文化庁文化財保護部美術工芸課と山口県教育委員会が合同で行った文化財総合調査で、当該文化財は歴史資料部門の調査対象となり、以下のような記者発表が行われている。
「本枡は、もと山神社の祭事等に用いられたものと思われ、後に地域を中心とした荒神祭の折に用いられ、同区の荒神祭の当座にまわされ現在に至っている。
中世の社会では、荘園、あるいは社寺などにおいて多種多様な枡が用いられたことが知られるが、その遺例は極めて少ない。
本枡は、年紀を明らかにする中世枡として中世量制史研究上に注目される。」
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