名称関連 | 文化財名称 | 絹本墨画淡彩雪舟等楊像(雲谷等益筆) |
要録名称 | 絹本墨画淡彩雪舟等楊像(雲谷等益筆) | |
指定関連 | 指定区分・種類 | 有形文化財(絵画) |
指定年月日 | 平成3年12月10日 | |
所在地関連 | 所在地 | 山口市宮野下2001番地の1 |
所有者関連 | 所有者 | 宗教法人 常栄寺 |
本件が、いつ、どういう経路で常栄寺に蔵されることとなったか不明である。近世の所産である「寺社由来」「寺社証文」「防長風土注進案」に記載はなく、漸く、明治41年(1908)「常栄寺宝物帳」に現れる。
なお、常栄寺(臨済宗:山号は香山)は、毛利隆元(1523-63)の菩提寺として芸州吉田に創建され、毛利氏の防長移封後は山口の国清寺(現洞春寺)を転じて常栄寺とした。文久3年(1863)宮野の現在地に移る。この地は、古く妙喜寺(大内政弘が母の菩提所として創建)があり、江戸時代には毛利隆元夫人の菩提所となり妙寿寺と称していた。
寸法
(本紙)縦104.9㎝、横34.2㎝
品質、形状等
絹本墨画淡彩、掛幅装、1幅1鋪。
頭に鳥紗巾をかぶり、墨衣の上に袈裟を着用し衣中胸前で拱手する僧体の左向きの半身像。像主は老身の雪舟等楊。
肉身部は黄土に墨を混ぜたと思われる肌色に塗り、ところどころに暈を施す。輪郭線は墨線で描き、輪郭に沿って青墨をそわせる。口唇や袈裟紐には朱を塗る。描線を生かした淡彩色である。
画面の中央、左端に2顆の朱印がある。上が白文瓢印「雲谷」、下が朱文方印「等益」。
「
(印①)
雪舟等楊座元像
遠離慧日峯座天童
第一金玉名譽得
丹青精神
識佛曽記這人麼
向一亳端現寳王刹
坐微塵裡轉大法輪
住龍峯玉舟 宗(印②)(印③)
」
※印文①朱文長方印「優遊自在」②白文方印「(不明)」③朱文鼎印「春睡」
巻留墨書「雪舟等楊禅師像 等益筆玉舟賛」「防州常栄寺藏(印)」
※印文……朱文長方印「香山 (以下不明)」
○雪舟等楊(1420-1506)
画聖。等楊は諱。備中国赤浜(岡山県総社市)の出身。幼少で上京、相国寺にはいり、画を周文に習う。1460年頃山口へ移り、大内氏庇護下に山口に雲谷庵を営む。応仁元年(1467)遣明船で渡明をはたし、天童山景徳寺の第1座となり、北京礼部院の壁画を製作した。文明元年(1469)帰国後、豊後をはじめ各地を遊歴。永正3年(1506)雲谷庵で没したと伝えられる。わが国山水画の大成者。
〔代表作〕
①紙本墨画淡彩四季山水画(山水長巻) 防府毛利報公会蔵
②紙本墨画秋冬山水画 東京国立博物館蔵
③紙本墨画淡彩天橋立図 京都国立博物館蔵
④紙本著色益田兼尭像 益田市蔵
○雲谷等益(1591-1644)
雲谷派の祖雲谷等顔(1547-1618)の次男として広島に生まれる。幼名は宮法師。毛利輝元に従い、父とともに萩へ移住。兄等屋の早逝に伴い雲谷家を継ぐ。萩藩の江戸桜田藩邸や毛利元就の菩提寺洞春寺の障壁画を描いたほか、京都の名刹大徳寺の塔頭の障壁画も描いている。
※雲谷派
雪舟流の画法をうけついだ雲谷等顔を祖とする漢画系派で、萩藩御用絵師の地位を保って明治まで至る。雲谷の名は、雪舟の画房雲谷庵に由来する。
○玉舟宗(1600-1668)
臨済宗の僧。京都の臨済宗大徳寺派の大本山で五山の一つであった大徳寺の185世。春睡・青霞山人などと号す。後西上皇から大徹明応禅師の禅師号を特賜される。
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