名称関連 | 文化財名称 | 吉香神社 |
要録名称 | 吉香神社 | |
指定関連 | 指定区分・種類 | 重要文化財(建造物) |
指定年月日 | 2004年12月10日 | |
所在地関連 | 所在地 | 岩国市横山2丁目8番10号 |
所有者関連 | 所有者 | 宗教法人 吉香神社 |
享保13年(1728年)
明治18年11月の棟札により、この年に神社を白山比咩神社境内から現地に移していることがわかるが、明治18年8月の棟札により、移築と同年に屋根が葺き替えられたことがわかる。
また、大正2年の棟札により、この年にも、屋根檜皮葺の葺き替えを行っていることがわかる。
本殿、拝殿及び幣殿、神門 3棟
鳥居 1基
附 棟札 2枚
大工 明田勘九郎明眞
佐伯次郎右衛門直定
当社の前身は初め、元亀4年(1573)5月、安芸国山県郡新庄村(広島県山県郡大朝町大字新庄)竜山八幡宮の境内に、吉川興経の霊社として、吉川元春・同元長父子によって創建され、光大明神社と号した。のち寛永18年(1641)霊社大明神と改号、さらに宝永7年(1710)鋒垂明神と改号した。
さて正徳元年(1711)安芸新庄の鋒垂明神を、岩国錦見の椎尾八幡宮境内に分祀勧請することになり、翌2年3月、椎尾境内に鋒垂明神仮殿が新築、ついで同4年3月、横山寺谷の奥へ遷宮、また享保13年(1728)横山の白山神社境内に社殿を改築して遷官し、鋒垂大明神と号した。この社殿が現在の吉香神社である。のちまた延亨元年(1744)9月、治功大明神と改号。
寛政5年(1793)7月、横山白山神社境内へ、高秀神社(吉川経義を祀る)、鎮昭神社(吉川広家を祀る)両社を創建、翌6年2月、両神社、正遷宮。
明治2年(1869)版籍奉還、同4年廃藩置県の後、吉川経健は東京移住を命ぜられた。このとき治功社、高秀社、鎮昭社は廃社となる筈であったが、岩国城下の旧士民が、吉川家に請うて、二社を治功社に併合して、それに祭神も吉川元春と吉川経幹を加えて5柱(経義・興経・元春・広家・経幹)とし、吉香神社と号することにしたのである。明治6年のことである。翌7年4月、県から許可が下りた。明治12年吉香神社が郷社に列したとき、吉川友兼・経基・元長を加えて、祭神が8柱となった。同18年(1885)吉香神社を白山神社境内から居館跡へ移転、県社に列した。昭和25年11月、祭神に広嘉を加えた。同39年3月、祭神に吉川家の正統19柱を合祀し、祭神は28柱となった。
なお、戦後は県社の格がなくなり、明治初年通り、岩国市内各地区代表が崇敬人代表として、吉香神社を維持している。
享保13年の造営は、前年の享保12年(1727)正月4日、藩庁で決議それ、同年12月22日、鋒垂大明神斧初め、翌13年4月23日、棟上、同9月25日遷官した。享保13戊申年9月25日上棟の記のある棟札が存在する。本殿・拝殿・神門(脇門を除く)とも同一時期で揃っており調査の結果建立年代が棟札と合致し明確である。
平成3年9月27日に山口県を直撃した台風19号により、甚大な被害を受けた吉香神社本殿・拝殿・神門の保存修理事業を、平成5年度から10年度にかけて県・市費補助で行った。
保存修理事業 平成5年~10年度
総事業費 169,000千円
イ) 本殿
・平面 三間社流造、千鳥破風・軒唐破風付き、桧皮葺、浜縁・浜床付き。
・基礎 切石積二重基壇、上重平葛石付き、身舎は亀腹(土砂をモルタルで固める)上にたつ。
〔磁石〕 切石。
・軸部〔向拝柱〕 几帳面取角柱。
〔身舎柱〕 円柱。
〔身舎〕 土台、切目(内陣部分は長押一段分高い)・内法長押、頭貫(木鼻は絵様繰型)を廻らす。各長押の柱心に外側及び外陣内側切目長押は銅製八双金物、外陣内側内法長押は銅製六葉釘隠(内法長押のみ)を付ける。
〔斗〕 側廻り二手先挙鼻付き、二手目は禅宗様尾垂木(下端に眉を入れる)付き。尾垂木先端木口金物付き。肘木は向拝も含めて総て笹繰付き。
〔中備〕 側廻り、入側とも本蟇股(正面・入側・背面中央間と両側面は下り藤紋、正面・入側・背面の両端間は九曜紋)。
〔向拝〕 腰長押、頭貫(中央間は虹梁型、木鼻は絵様繰型)、平三斗、五斗長肘木と出三斗の組を重ねる。両端は連斗なしの連三斗(中央実肘木に唐草文を陰刻する)連五斗長肘木と重ねる、中備なし。両端は海老虹梁で身舎柱を繋ぐ。中柱筋に牡丹彫刻の手挾をつける。
〔屋根〕 流造、桧皮葺、鬼板と箱棟(T字を造る)銅板張り、箱棟端部に置千本3組(うち本棟上2組)、勝男木6本(うち本棟上4本)をつける。
〔軒廻〕 向拝とも二軒・角・繁垂木、飛檐垂木は先細、地・飛檐垂木とも木口金物付き。支輪二段付き、中央間14枝、脇間と枝外垂木は12枝、六枝掛。
〔妻飾〕 二重虹梁大瓶束笈形付き、結綿は三葉型、大虹梁上に大瓶束をたて小虹梁を支える。大瓶束に通肘木をつけ、中央に挙鼻付き平三斗を置く。千鳥破風は虹梁大瓶束。
〔派風〕 破風板下端に眉付き、派風板打合せ、木口などに銅製八双金物を飾る。猪目風穴あき懸魚を拝み、及び母屋桁隠しとする。軒唐破風板打合せに銅製八双金物を付け、兎毛通は桃の彫物付き。
〔縁〕 三方跳勾欄付き切目縁、脇障子(吹寄せ襷桟付き)付き。竹の節は唐草彫物。後端の間の切目縁は長押一段高い。正面は縁下を板壁(吹寄せ襷桟付き)とする。
〔柱間装置〕 正面各柱間格子戸両開き、その他、床下まで横板落し込み(背面床下一部に連子を入れる)。入側正面中央間幣軸付き両折れ板唐戸、両端両開き板唐戸。外陣内側に絵を描く(左側は松、右側は竹)。
<床>外陣、内陣手前1尺程畳敷き、内陣背面に高棚を設ける。向拝浜縁浜床付き、木階5級、浜縁上に1級をつける。
<天井>外陣:鏡天井に龍を墨書きする。内陣:竿縁天井。
〔彩色〕 陣部、垂木など軒廻りは朱、斗、蟇股、手挾、軒桁、手挾などは極彩色。支輪、格子戸桟は黒色。内陣扉は木漆塗。
外陣:天井は龍の墨書き、斗極彩色、蟇股も彩色、内側板壁松(向って左)、竹(向って右)の極彩色絵。
〔材料〕 身舎柱は絵、向拝柱はから松。
・附 棟札2枚 正徳2年、享保13年。
(ロ) 拝殿
・平面 正面五間側面三間、〔身舎〕正面三間、側面一間、入母屋造、正面軒一間切上、〔左右庇〕各正面一間、側面三間、千鳥破風付き、側面軒中央一間切上、背面張出し(幣殿):正面一間、背面三間、側面二間、切妻造、妻入、総桧皮葺。
・基礎 切石積基壇、平葛石付き、基壇上土砂をモルタルで固める。
〔礎石〕 切石。
・軸部 〔身舎柱〕 円柱、背面張出しは大面取り角柱。
〔庇柱〕 円柱。
〔身舎〕 切目・内法長押、頭貫、各長押の柱心に外側銅製釘隠金物、内側銅製六葉釘隠を付ける。
〔斗〕 挙鼻付き出組(肘木笹繰付き)。
〔中備〕 正・背面中央間のみ本蟇股、他はなし。
〔庇〕 切目・内法長押(身舎より1段下げる。両側中央間は1段上げて身舎と同じ高さ)、頭貫、挙鼻付き平三斗、四隅は連斗なしの連三斗、身舎柱とは海老虹梁で繋ぐ。中備は両側面中央間のみ本蟇股。銅製隅金物、六葉釘隠は身舎と同じ。
〔張出し〕 腰・内法長押、頭貫、平三斗(肘木笹繰付き)、中備は背面中央間のみ蟇股、他はなし。銅製八双金物、六葉釘隠は身舎と同じ。
〔屋根〕 桧皮葺、大棟、千鳥棟とも箱棟は瓦、下り藤、九曜紋を飾る。
〔妻飾〕 虹梁大瓶束、結綿は三葉。千鳥破風は虹梁大瓶束、鰭付き蕪懸魚を吊る。張出し背面は二重虹梁大瓶束。
〔軒廻〕 身舎、庇とも二軒、地・飛檐とも角・繁垂木、飛檐垂木は先細。正面中央間18枝、脇間12枝、両端間6枝、論治垂木3枝、側面中央間16枝、脇間と論治垂木10枝、六枝掛。中央間切上げ部分の両端は地・飛檐垂木状の破風枝わ飾り、先端に繰型をつける。身舎外側は菱格子の支輪わつける。張出し前の間2枝、後の間12枝、論治垂木8枝。
〔破風〕 破風板は総て眉付き、拝みに千鳥破風とも鰭付き蕪懸魚を吊る。張出しは鰭付き猪目懸魚、懸魚は総て六葉付き。
〔縁〕 張出し部を除いて、四方に切目縁。
〔柱間装置〕 正・背面中央間格子ガラス戸両引開き、側面中央間格子ガラス戸引き違い。その他は腰板壁格子ガラス戸嵌め殺し。張出しは背面中央間格子戸両引き、両脇間と側面後の間格子ガラス戸嵌め殺し、前の間片開き桟唐戸、袖壁付き。
<床>拭板敷(張出しは長押一段分高い)。
<天井>身舎は支輪折上げ小組格天井、庇は化粧屋根裏、張出しは竿縁天井。
〔彩色〕 軸部は朱、小壁は白色、蟇股は極彩色、天井の格縁なども朱、板は白色。
〔材料〕 桧。
(ハ)幣殿
桁行二間、梁間三間、切妻造、檜皮葺で、拝殿背面中央部に接続。
(ニ) 神門
・平面 四脚門、切妻造、桧皮葺、両脇門付き。
・基礎 切石雨葛一段。
〔礎石〕 切石。
〔礎盤〕 石造、木製唐居敷。
・軸部〔親柱〕 円柱。
〔控柱〕 大面取り角柱。
腰長押、頭貫、桁行は虹梁型頭貫。冠木付き(中央に吉川家の下り藤の家紋付き木製八双を飾り、木口に彫刻木版を巻く)。
〔斗〕 平三斗(肘木笹繰付き、親柱上は挙鼻付き)。
〔中備〕 本蟇股。
〔屋根〕 切妻造、桧皮葺。箱棟は銅板張り。下り藤と九曜紋を飾る。
〔妻飾〕 虹梁大瓶束笈形付き。
〔軒廻〕 二軒、地・飛檐とも角・繁垂木、枝数24枝、枝外垂木6枝、六支掛。
〔破風〕 破風板は眉付き。拝みに檐付き猪目懸魚を吊る。
〔雑作〕 正面内開き板唐戸。両側頭貫と腰長押間に花菱格子嵌め殺し。
〔彩色〕 朱を全体とする。親柱筋虹梁上の蟇股は白色。
〔材料〕 桧。
(ホ)鳥居
花崗岩製の明神鳥居で、柱に由緒来歴や建立年月日を陰刻する。規模は、柱間3.5m、柱径38cm、地盤面から笠木上端まで4m。
県指定有形文化財(建造物) 昭和63年3月29日指定。
○「岩邑年代記」享保12年1月4日の条
「岩邑年代記一」ヨリ抜書
享保十二丁未
-正月四日白山宮御造営鋒垂明神御造立梅ケ薬師堂御建立被仰付御蔵元江被召出吉川外記御意申渡役人ハ御造営惣辻粟や久太夫作事頭横断藤左衛門勘定辻米原与一左衛門同添役瀬川瀬左衛門丁ニ瀬川彦七屋形方定役瀬川治兵衛池田市右衛門御算用方阿野七右衛門三戸五兵衛右之外諸役諸細工人数人
-本社大宮作り五間社伹組物一手先垂木二重繁物鏡ノ間カクシ天井梁行壹丈四尺中ノ間三間橋陰ノ間七尺五寸濱床 桁行弐丈九尺七寸七歩伹屋根入モヤ向千鳥破高サ石垣ヨリ棟尻マテ風橋陰項摩破風粉葺総三丈一尺三寸
-玉垣長押作リ長サ柵廻十一丈弐尺余粉葺
-拝殿二重作リ初重組物三リ計二重垂木重物略内室組入ノ間合天井上テ座
-下梁行二丈弐尺桁行四丈五尺 妻破風向軒唐破風上ノ重梁行一丈二尺桁行二丈一尺三寸
-幣殿組物三リ斗 垂木一 貫一重物流破風粉葺
-廻廊大手作リ瓦葺流破風一重垂木貫屋根
裏物梁行八尺桁惣長四十六間余
-楼門大和様本組一手先二重扇垂木――惣高サ石ロヨリ棟瓦マテシ丈八尺三寸
-本矢来長拾三間二尺此対廟仕替手水躰ノ吹屋未社高井籠所御久米仕出処取置ニメ
「岩邑年代記」享保13年9月25日の条
享保十三戊申
-同(九月)廿五日鋒垂大明神遷宮二付而豊嶋又八郎御供被仰付其外社人大ノ字御神位
-本社三間社明神作り組物一手先妻流破風向千鳥唐破風二重繁垂木鏡天井梁行本間九尺橋陰ノ間七尺二寸濱床惣土居一丈六尺二寸桁行一丈七尺一寸惣高二丈八寸五歩石ヨリ棟瓦迄一玉垣長押作リ折廻拾一丈余上粉葺足不見
-拝殿向作組物其寸尺略之
-外繋三足立
-棟札享保十三戊申九月廿四日同略
-華表銘 朝枝世美金謹記月日其余略
-鳥井額字 宝鏡院姫宮ノ御筆也
○「御用所日記」享保12年1月4日の条
「享保十二年御用所日記」ヨリ抜書
正月四日
-白山宮鋒垂明神并薬師堂御造営ニ付而被仰付候役人左ニ
御普請奉行 作事頭
粟屋久太夫 横道藤兵衛
御普請方 添役
瀬川治兵衛 米原与一兵衛
池田市右衛門 瀬川彦七
算用方
明太勘九郎 阿野七右衛門
佐伯六郎右衛門 黒川茂平
右之面々被仰付候由御蔵元より
伹来手紙御勝手御裏見せ候
○「巖國沿革志 吉香神社由来別記」
享保13年9月25日の条
巖國沿革志吉香神社由来別記全」ヨリ抜書
(享保十三年)
○同年九月廿五日鋒垂明神寺谷ヨリ白山宮隣地へ正遷宮アリ始テ大明神々位ヲ世ニ弘メラル石鳥井建銘左ニ
位於上者天也位於下者地也参於其両間霊於万物者人也人之聡明正直有功於民者祀而神之礼也 公諱興経藤姓吉川氏襲封居藝之新荘仕為治部少輔実我巖國候之祖也為人多カ以善騎射知名名方足利氏衰也治綱不振四海糜帰自関以西周有大内雲有尼子虎視龍戦日尋千戈生民亦無復寧日矣 公介居ニ國之間保其社稷弗敢隕墜一方生民実頼之 公之功亦大矣・公歿之後有神降干藝廼奉祠田若千廟亨惟謹毎歳九月使人承祭百有餘年干今矣嗟乎生也不能報之徳没焉而神々固其宣也歳丁亥我 先君慨然与執事謀日彊場之事一彼一比孤不克親潔梁盛朝夕奉事於 先公盍更図之於是営干治之東椎尾山迎以祀之後遷於治之南澗功未畢而 君下世今君善継其志廼改ト公堂之南官庇其司々菫其役百用其修工告訖功凡正殿一拝殿一繚以垣梁税黝堊丹漆莫不咸以法故焉遠而望之魏然也近而仰之魏然也凡人之過於斯者莫不日美哉奐焉其神之舎乎又莫不日大哉我君之報本也歳丁未貝 牀請神祇官特贈以嘉号日鋒垂大明神蓋偃武以修丈之謂也於戯非神々徳威愈久而愈隆者則豈能此是知神々安其止垂裕後昆同休乎天地矣廼俾世美作文以刻之和門而繋以銘
銘日
維斯峩者 如玉如金 洋々在上 無弐爾心
享保十三年戊申歳秋八月 朝枝世美勤換
右筆者 東立珉書写
付指定されている棟札について
正徳2年3月27日
総高860㎜・脇高850㎜・幅270㎜・厚29㎜ 尖頭形 檜材
享保13年9月25日
総高1152㎜・脇高1130㎜・幅250㎜・厚26㎜ 尖頭形 檜材
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