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文化財要録コンテンツ

名称関連文化財名称絹本著色維摩居士像
要録名称絹本著色維摩居士像 
指定関連指定区分・種類重要文化財(絵画)
指定年月日

明治37年2月18日 (内務省告示 第10号) 国宝(旧)

昭和25年8月29日 文化財保護法施行により重要文化財

所在地関連所在地

山口市水の上町 

(大阪市立美術館承認出品)

所有者関連所有者宗教法人 洞春寺


文化財詳細
員数
一幅

品質及び形状
絹本著色 (画絹三幅一鋪)、掛幅装 

寸法又は法量
縦156.1cm、横105.2cm

参考情報関連
参考情報

 この図は維摩が左手に払子を執り、立て膝をして脇側によれる姿を描いたものであるが、描線闊達自在で頗る大作をなしている。

 筆者は不明。元代顔輝の筆と伝えられているが、その証明はない。しかし、大体元代乃至明初の頃の作と見てよい傑作である。

 維摩は維摩詰の略称で梵語ではVimalakirtiという。「維摩経」に中に出てくる説話中の人物で仏陀が在世の当時に中部印度にあった摩伽陀国の北部、毘耶離という町にいた長者である。在家の仏弟子で菩薩大乗の行業を修し、出家沙門以上に仏教の神髄に悟入して家庭産業等の実生活の中にも高遠な仏道を融合透徹せしめ、在家仏教の理想的体現者として目せられている。

 顔輝については詳細な伝は明らかでなく、図絵宝鑑元代画人の部に「顔輝、字は秋月、江山の人である。よく道釈人物を画く」とあり、画鬼に長じ、筆法奇絶、八面生意ありといわれている。顔輝筆と称するものは、我が国にも少なからず伝存しているが、その最も名高いものは京都知恩寺蔵の蝦蟇鉄拐二仙人の図である。

 洞春寺は元亀3年(1572)の春、毛利元就の菩提寺として安芸国吉田の城内に創建された。開山は嘯岳鼎虎禅師、山号を正宗山と称する。

 関が原の役後、慶長8年(1603)毛利氏に従い山口に移り、香積寺の堂塔を賜った。ついで慶長11年(1606)萩城内に移り、さらに明治2年(1869)明治維新に際し山口の国清寺旧跡に移り、今日に至っている。

 




地図



画像
<絹本著色維摩居士像>関連画像001(オリジナル画像表示リンク)<絹本著色維摩居士像>関連画像002(オリジナル画像表示リンク)

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