名称関連 | 文化財名称 | 絹本著色毛利元就像 |
要録名称 | 絹本著色毛利元就像 永禄五年九月仁如集堯の賛がある | |
指定関連 | 指定区分・種類 | 重要文化財(絵画) |
指定年月日 | 昭和44年6月20日 (文部省告示 第285号) | |
所在地関連 | 所在地 | 山口市春日町8-2 山口県立山口博物館←山口市野田 (昭和45年4月7日、委保第13の5号) |
所有者関連 | 所有者 | 宗教法人 豊栄神社 |
絹本著色、掛幅装
直衣、侍烏帽子の姿で左腰に腰刀を差し、右手に蝙蝠扇を持ち、襪を覇き、面を向って右方に向け、高麗縁上畳に坐す。左手傍に太刀を置く。顔貌は頬骨高くやせる。肉身は白肉色で耳殻、眼窩、鼻梁及び額皴、目尻皴は淡墨で描き、眼は濃墨をさす。眉、髯鬚は濃墨で細線描。眉と眼窩の間、目尻鼻際に淡い朱隈がある。口は朱に墨の輪郭線。直衣は焦茶で一文字三星の紋を胡粉で描く。衣文線は濃墨、胸元に垂れる紐は淡紅色、下著は萌黄、その上に水浅黄の襟。襪は黄地に茶の立湧。扇及び太刀、腰刀の金具に金泥を使い墨で輪郭線をとる。上畳は緑で縁は胡粉地に墨の文様描。上に向って右から左に29行の賛文がある。
凡其本大者枝葉繁茂、其源高則江派渺瀰、茲案、大江氏本源
人皇五十一代 平城天皇之嗣阿保親王 々々令子大江音人
本姓土師、以 桓武天皇外戚、改為大枝氏、至音人改枝為江、嚮
所謂枝葉江派併安乎、天長十年音人廿三歳、補文章生、貞観
六年五十六歳、献章、任参議、在官十二年、是為江家祖宗也、有兄弟
五人在原業平為末弟也、後二百年、延久帝御宇、王畿有恠、
帝愁之、一夕夢或告曰、竹人攘災、覚後門群臣、無委者、江都督匡房
奏曰、範俊也、帝日何也、都督日、範俊従竹人、帝感悟詔俊除其
災矣昭々于釋書也、又承徳二年、匡房任大宰帥、康和五年解印、持
孔聖像歸洛、為大学寮本尊、今傳焉、撰江家次第廿巻、朝廷礼儀
規模無不載之、為本朝大儒宗者也、今藝州主君大江朝臣毛利
陸奥守元就蚤歸依三寶法名曰日頼徽號稱洞春、論其権則、治國者
以十数焉領、軍者以万数焉、古匡房卿領大宰西州九國二島而住者
五年也、想□(夫)、公之系譜亦其后胤乎、漸向五百年、宜哉、本大而
繁茂、源高而渺瀰者、大江氏云乎哉、常春公云乎、嗚呼盛矣
前南禅竺雲大禅師以□(英)檀故、伝令嗣光禄隆元公命而綵繪
公寿容 就小野乞題一語於上、予雖昧識面、与禅師以有素、不敢
峻拒、且挙其一二讃日
威加海寓、名達雲衢、黼黻
今皇即位朝儀、致、君堯舜、究宗師透渕密旨、接衆江湖賢守封
陸奥侯、権輿日或而有光元史文献、名家出大江氏、濫觴岷山而以
弥禹貢州都、堤吹毛利剱而平敵則智淬干莫揮便面小扇而談兵
則謀合孫呉、仰瞻錦袍升壇韓信、辱被息栄賞賜、髣像鐵鎧臨陣蔡祐、
好褒忠勇壮夫、虎頭相懐班超大志、蝟毛磔将桓温美鬚、三星重輝月宮
豪貴累代絞張軍幕、九州道風海外、提封並境賦輸宮租、吟詠倭歌
玩弄鵜本鷺本詞鼻諸集継躅敷島、信敬竺典課持羊車鹿車妙芬大乗、
傾誠浮屠、列國同盟其言必言、善隣至宝維徳不孤、夫是之謂
家督紹隆元、首在寿山、萬々歳嵩呼者也
永禄五年龍集壬戌季秋上澣、前南禅鹿苑、小此丘集堯
(朱文方角印) 不明 (朱文鼎印)
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