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文化財要録コンテンツ

名称関連文化財名称紙本墨書後深草天皇宸翰御消息
要録名称紙本墨書後深草天皇宸翰御消息(十二月廿五日) 
指定関連指定区分・種類重要文化財(書跡)
指定年月日

昭和11年5月6日 (文部省告示 第226号) 国宝(旧)

昭和25年8月29日 文化財保護法施行により重要文化財

所在地関連所在地防府市多々良1-15-1
所有者関連所有者財団法人 防府毛利報公会


文化財詳細
制作等の年代又は時代
鎌倉時代

員数
一幅

製作者
後深草天皇筆

品質及び形状
紙本墨書、掛幅装

寸法又は法量
縦27.7cm、横70.0cm

本文
任人加一見進上之候、無殊子細候歟、左馬允大江忠廣とやらん申候者、申左衛門尉可付職事之由仰候つる、未奏聞候歟、武者所舊勞にて申候つる。可被書入候哉謹言 十二月廿五日 (花押)

参考情報関連
参考情報

 後深草天皇(1243~1304) 第89代天皇(1246~1259在位)

 大宮院藤原子(藤原実氏の女)を母として、後嵯峨天皇の第3皇子として生れる。4才にして位についてから寛元4年(1246)亀山天皇に位を譲るまでは、後嵯峨天皇が政務をとった。後嵯峨天皇は亀山天皇を愛し、亀山天皇の統に皇位を継承させようとしたという。そこで天皇は時の執権北条時宗を動かし、皇子熙仁に皇位をつがしめ伏見天皇とし、自ら政務をとった。さらに伏見天皇の皇子後伏見天皇の即位となり、持明院・大覚寺両統迭立のもととなった。

 天皇には正嘉2年(1258)より正応3年(1290)までの100余巻におよぶ日記があり『後深草天皇宸記』とも『水草宸記』とも呼ばれている。現在は、その内の「両院石清水御参籠御記」や「続古今竟宴御記」の外8巻が伝わっている。




地図



画像
<紙本墨書後深草天皇宸翰御消息>関連画像001(オリジナル画像表示リンク)<紙本墨書後深草天皇宸翰御消息>関連画像002(オリジナル画像表示リンク)

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