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文化財要録コンテンツ

名称関連文化財名称岩戸神楽舞
要録名称岩戸神楽舞
指定関連指定区分・種類無形民俗文化財
指定年月日昭和51年3月16日 (山口県教育委員会告示 第3号) 無形民俗文化財
所在地関連所在地宇部市
所有者関連所有者

保持者関連
保持者
岩戸神楽舞保存顕彰会

文化財詳細
時期及び場所
 12月5日の天神祭前夜に文楽公会堂遙拝所神前で奉納。

由来及び沿革

 二道祖とは2つの道祖神が鎮座することに由来する部落名で、この地は神話伝説に富み、敬神の念が厚く、殊に部落の一隅にそびえる海抜300mの御伊勢山に奉祀する皇太神宮(天文14年奉祀)に対する尊崇は古来極めて厚く、その発露が奉納行事としての岩戸神楽舞の創始となったものである。

 およそ200年前、長谷川庄兵衛なるものが当時の河本宮司家(河本現宮司の先祖)から伊勢式岩戸神楽舞の伝授をうけ、これを基本として同じ伊勢式別流の長所も取り入れ、奉納舞として創始したのがこの五調岩戸神楽舞という。当初は長谷川はじめ、大谷、古川、矢原、木村等(何れも現部落同姓者の先祖)で連中をつくり、舞楽それぞれ分担、一家相伝の特技として奉納していたが、明治末期頃からいつとなく部落行事となり、一般若連中により伝承されて今日に至っている。

 この舞の皇太神宮への奉納は、当初は4月13日他の祭行事とあわせて御伊勢山山頂に近い広場で行われ、後にはそこに通夜堂を建立したがこれが倒壊したためこの材で山麓200メートル距った所に移転再築し、これを遙拝所に改めて、奉納神楽も12月5日夜に変えて続行、さらに大正14年遙拝所を現在の公会堂に移転するに及んでも変ることなく、二道祖岩戸神楽舞の名は遠近に及び、小野田、宇部あるいは山口にまでも招かれて奉納した。満州事変後一時中絶したが、昭和31年幸いにして中絶当時の舞楽担当者が健在であったので、衣装用具等の一部を補充し、五調子岩戸神楽舞を完全に復興し、既に部落青年に伝渡し、将来への伝承が約束されることとなった。 



内容

 舞楽はすべて男子で、奉仕はあくまで尊厳に、原則として方90cmの範囲内で4方に舞納めることになっており、夫々の舞は神を拝して始め神を拝して終る。

 岩戸神楽舞は神話天岩戸の場面を象徴表現することは勿論であるが、御伊勢山皇太神宮に奉納するわけは、神威をおろがみ謝すると共に、上御武運長久、家運繁栄、五穀成就、牛馬安全を祈るのであって、その旨を祝詞奏上する。

 舞は十種十二場に編成、途中に天蓋操作を加え、楽は太鼓、笛、鐘合奏の五調子でこの舞を正式に舞い納めるためにはおよそ4時間を要する。舞楽の概要は次のとおりである。

 舞の順序

/種目/別命/人員/衣装/面/採物/備考/

/一、神楽の舞一番//1人/烏帽子、直衣/無/鈴、扇/歌/

/二番/天邪鬼/2人/同前/1人/同前/歌 天邪鬼は時代反逆者/

/三番//1人/同前/無/同前//

/二、三宝の舞//2人/同前/無/鈴、三宝各二/歌 天蓋中心二人対称/

/天蓋操//1人/同前/無/天蓋/八方に操作する/

/三、鉾の舞//1人/同前/無/鉾//

/四、榊の舞/柴/2人/同前/無/榊各一//

/五、剣の舞/将軍/2人/同前/無/剣各一//

/六、祝詞の舞//1人/烏帽子直衣錦半衣/有/大幣、鈴/祝詞奏上、舞の由来と祈願/

/七、岩戸の舞/岩戸さぐり/1人/同前/有/小幣、杖明松/岩戸の所在探査/

/八、姫の舞/姫宮天宇受女/1人/同前紫袴/有/扇、鈴/大神招き出しの急調舞/

/九、鬼の舞/手力男/1人/無直垂鎧/有/榊、天蓋//

/十、弓の舞//2人/烏帽子直垂、裾紋/無/弓剣各一//

 楽器の種類

/種類/別名/人員/服装/面/用具/備考/

/太鼓//1人/烏帽子直垂/無/神楽太鼓/舞楽の基幹となる/

/笛//2人3人/同前/無/横笛//

/鐘//1人/同前/無/合わせ鐘//



設備・衣装・用具
 舞場は夜間の神前、又はこれを模したもので、神燈をかかげ幕を張り、正面に鏡と玉をかけて布帛をたらした大榊をたて、天井から天幕をつるす。


画像
<岩戸神楽舞>関連画像001(オリジナル画像表示リンク)

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