名称関連 | 文化財名称 | 久賀のなむでん踊 |
要録名称 | 久賀のなむでん踊 | |
指定関連 | 指定区分・種類 | 無形民俗文化財 |
指定年月日 | 昭和51年3月16日 (山口県教育委員会告示 第3号) 無形民俗文化財 | |
所在地関連 | 所在地 | 周防大島町 |
所有者関連 | 所有者 |
周防大島町の「なむでん踊」は毎年田植終了後の半夏(7月2~3日頃)の翌日に行われる虫送りの行事で、歌詞を伴わぬ風流踊の所謂「楽打ち」と称せられるものの1つである。藩政時代には大島宰判の庇護の下に、屋代と共に生産増殖を目的とする行事として奨励せられその経費も支出されていた。屋代は久賀よりも一層大がかりなものであったため、明治期になって藩の援助を失うと間もなく小部落だけの負担に堪えかねて中絶のまま現在に及んでいるとこの点久賀は屋代に比して小規模のものであって、その費用も割安であったのと、久賀の人々が田植終了後の泥落しの行事として久しく親しんで来たものに深い愛着を有したためであろうか、現在に持ち伝えて来たものであった。
現在行なわれている「なむでん踊」は、神屋寺7代大本祐厚大和尚(文化9年7月6日入寂)によって始ったと云われるが、これは恐らく古くから行なわれていた虫送りの行事が勘場の行事として取り上げられた時期がこの化政期に当ったものと思われる。
当日午前六時、一同久屋寺に参集して、まず本堂で実盛人形の魂入れ式が住職によって行なわれる。香語が誦読せられて踊り子等の焼香があり、同時に虫よけ札が下げられる。終ると寺の境内で初踊りが行なわれる。踊りは一庭踊り、二庭踊り、三庭踊りの3種類の踊りがあるが、その間一庭踊りがすむと棒術にシカシカ(口上)があり、更に二庭踊りの後にも棒術とシカシカが繰返して行なわれる。三庭踊りは踊りだけで終る。久屋寺での初踊りが終ると次に八田八幡宮に参拝して、ここでも一同お祓いを受けて人形の魂入式が行われる。恐らく藩政期には神仏混淆の行事であったのであろう。入魂式が終ると部落の上方から下方へ向って稲虫を誘いながら17カ所の踊り場を次々に踊って4時間を要したと云われる。
最後に追原海岸で施餓鬼棚を作り、その前に人形を据え、供物を供えて流れ勧請の大施餓鬼が行われる。棚の下には桶に入れた生魚が置かれる。大施餓鬼香語の誦読が終ると一同焼香して、海岸に麦藁で作った万燈舟を浮べ、その実盛人形をのせ、供物や旗など一切を入れ、生魚は、海に放たれる。4人の若者が小舟に乗り、万燈舟を誘導して海上に流して一切が終了する。
[衣装]
長襦袢・脛当・足袋・手甲・帯・タスキ・鉢巻・ワラ草履
[用具]
棒・実盛人形(デコ・シュロでチョンマゲを結い、裃を着し、刀を2本差したカカシ様の人形)・大旗・小旗・万燈舟(ムギワラで作った1m半位の舟)
[音器]
ホラ貝・ドラ・鉦・太鼓
山口県は広島県と共に中国地方で風流踊の多く残っている地帯である。風流系のものには歌詞を伴うものと、歌詞を伴わぬ楽打ちとを称するものの両様があり、久賀の「なむでん踊」は後者に属する。多く雨乞いの豊年踊は歌詞を伴うが、虫送り系のものは楽器の伴奏のみで歌詞を伴わぬものが多い。その理由は、歌詞よりも鉦、太鼓の激しい音響によって悪虫悪霊を追い払うことがより適切であり、可能であると思ったからである。
県内には既に指定されたもので、楽打ち系の風流踊には、長穂念仏踊、別府念仏踊、陶の腰輪踊等があるが、久賀町のものもこれらを代表するものの一つである。現在の久賀町の「なむでん踊」は、一応その構成も崩れてはいず、踊り方もたしかであり、藩政期のものの姿を伝来しているものと思われる。
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