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文化財要録コンテンツ

名称関連文化財名称岩国南条踊
要録名称岩国南条踊
指定関連指定区分・種類記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択されたもの
指定年月日昭和49年12月4日(文化庁・芸能第191号) 「記録作成等の措置を構ずべき無形文化財」として選択
所在地関連所在地岩国市
所有者関連所有者

保持者関連
保持者
岩国南条踊保存会

文化財詳細
時期及び場所
 藩政時代には旧跡の7月15日前後に、城中の庭の藩主の面前で踊るのが通例であったが、明治以降は特定の場所で踊ることはなかった。数年前から10月第2日曜日に恒例の岩国祭に参加し、吉香神社に奉納する他、市内数ケ所で踊っている。

由来及び沿革

 この踊は中世末期中国の役即ち天正5年(1577)10月から同10年6月までの約5年8ケ月にその端を発しているといわれている。そしてこれには3種の説がある。

(1)「残太平記」「毛利軍記」などの説によるものである。伯耆の羽衣石城主南条元続と同三朝温泉地方の毛利家臣吉川元春とは数度の合戦で勝敗がきまらず互いに和睦の後元春は精兵をすぐり、下には腹巻鎖かたびらを着させ、上には踊かたびらに出てたたせ、駒の山から羽衣石城に踊の行列をつくった。和談の後ではあるし、元続も元来踊好きであったので心も緩み、諸士も長の籠城で緊張がとけ面白く見物しているうちに次第に城近くに踊り進み、太鼓を合図にどっとばかり城内に切込み、遂に南条軍を降伏させたものである。

(2)「南条民語集」によるものである。長い中国の役に吉川元春をはじめ部下も民衆も共に多数戦没し、飢えに苦しみ惨状を呈したので、7月15日に僧を集めて追善の施餓鬼供養をし、精霊踊を催した。これが非常に風流であり、南条踊と名付けられて吉川家に伝わっているというものである。

(3)「吉川古語伝」によるものである。中国の役の南条、吉川の攻防戦で、南条側は籠城にたえかねて遂に吉川家に投降した。そこで吉川家では出雲の平田に番固屋を造って収容したが、月日が経つにつれて警備人も収容者と親しくなり南条の収容人たちは去年までは盆に踊って楽しんでいたものといって残念がった。警備の武士達はこれを聞くと早速吉川元春に言上した。すると直ちに踊の伝授を早速受けよということになり、やがて踊の伝授をし、平田の鰐淵山において元春に供覧させたというものである。

以上所説の中で(3)が最も有力視されている。由来吉川藩では錦見組、川西組、横山組と地名をつけて少年の踊子が編成され、150名位のものが城中の藩主や、その一族の見物の前で踊っている。明治になって一時中絶していたが明治中期復興され、又戦後も衰退していたが復興されて今日に至ったものである。



内容

 踊は前半と後半に分れ、踊の種類も10数種あり、所要時間は実に4時間を要するものである。吉川家の紋所を染抜いた幔幕の中から入端起りの太鼓、手拍子、拍板の囃につれて踊子が1人1人踊出て輪を作る。踊は屋外で、夜行われることを普通とするので、輪の四方にはかがり火があかあかと燃える。

 輪ができた頃を見計らって、板の太鼓を合図に歌い出しの入端の歌が始まる。それからは歌と囃子の調子を合せ、途中歌の調子の変るにつれて踊も変って行く。すなわち「入端」・「座面喜」・「走り踊」・「由利踊」・「芋踏」・「引揚の踊」の各踊の間に合せて踊が1つ終ると踊子囃子は中央に向い踊り終りの満足の笑をかがり火に輝かせる。この顔は実に天真無垢であり、踊子の気の静まった一瞬、間奏として間の囃子の踊がはじまる。このようにして最後の引揚の踊は酔った踊子がやがて幕の中に消えて行くと、打ち止めの太鼓を合図に踊子の声もなくかがり火の火も消えて終幕となる。



構成

(1)心遣

 おどりの指導者で、大人数人(2~5人)がこれに当る。

(2)歌出

 謡い手。大人がこれに当り、昔は10~13人もいたが、近年は5~6人で指導者を兼ねるものが多い。円陣の中央に並んでうたう。

(3)踊子

 おどり手で、昔は青年の場合と少年の場合とがあったが、近年は少年に限られている。昔は120~150人におよぶこともあったが、近年は20~30人程度となっている。右まわりに輪を描いておどるが、多人数の時は2重の輪を作る。はじめ入場の時、まっ先に進む者を大先または先登といい、後尾の者を殿と称した。

(4)囃子

 踊子に続いて進む。「太鼓打」「手拍子」「拍板」の3種があり、踊子と同年輩の者で構成する。昔は太鼓打ち5~10人、手拍子3~5人、拍板3人であったが、近年は太鼓4人、手拍子と拍板は2人ずつである。

(4)その他

 昔は別に「大団廻」「手明」が各2人ずついたが、近年はこれを省略している。



設備・衣装・用具

 (1)心遣

 羽織袴であったが、近年は黒紋付に袴を着用、白足袋に草履ばき、手に白扇を持つ。

(2)歌出

 袴を着用して歌団を持っていた。近年は黒紋付の着物に袴のみ着用。白足袋に草履ばき、手に白扇を持つ。

(3)踊子

 昔は帷子に帯、脚半、髪に飾り元結をつけ鉢巻きをし、腰に刀と広手拭、手に団扇を持った。少年の場合、刀を省いたこともある。近来は黒紋付の着物に堅縞の袴を着用、白のたすきに白足袋、刀を指して鉢巻し、手に大ぶりの団扇を持つ。鉢巻には月形の飾りがつき、大先と殿に限って鍬形がつく。

(4)囃子

 服装は踊り子と同じだが、鉢巻に角形の飾りがつく。持ち物は、太鼓打ちは小太鼓、手拍子は銅拍子(近来は銅拍子を用いているが、昔のままであるかどうかは不明)、拍板は小板を糸で綴り合せた古様のものである。

(5)大団廻

 渋帷子に下帯、渋手拭を持つならわしで、大団は直径2mあまりの大団扇で2mばかりの柄がつき、肩に担いでまわした。 



歌詞

<入端の起りの太鼓>

「入端」

目出たき御代の、お庭のかかり、金の蔦がまひかかる。まひかかる。

 <間の太鼓>

「座免喜」

十七八が浅川渡る、我が妻なろなら負ひわたそ、おひわたそ。

 <間の太鼓>

まづ負ひ渡せ、おひわたせ、あの山蔭があるほどに、あるほどに。

 <間の太鼓>

あの山蔭に、もし人あらば、そなたと我とは縁まかせ、えんまかせ。

<間の太鼓>

「間の歌」

あら目出た、天に金の花咲きて、地に銀の実こそなりけれ。

淀川の、深き底なる鯉鮒を、袖をもぬらさで捕るが不思議や、とるがふしぎや

 <走り踊に移る太鼓>

「走踊」

音に聞こえし吉野の桜、いざや諷ふて花を見て行かふ、花をみてゆかふ。

 <間の太鼓>

音に聞こえし難波の梅を、いざや諷ふて花を見て行かふ、花をみてゆかふ。

 <間の太鼓>

音に聞こえし岩屋のつつじ、いざや諷ふて花を見て行かふ、花をみてゆかふ。

 <間の太鼓>

音に聞こえし大坂の第藤、いざや諷ふて花を見て行かふ、花をみてゆかふ。

 <間の太鼓>

音に聞こえし千本の桜、いざや諷ふて花を見て行かふ、花をみてゆかふ。

 <間の太鼓>

「間の歌」

浮雲を、帯に駿河の富士の山、廻りて見れば結び目もなや。

宮島の弥山の空の宵時雨、ぬれてや鹿がひとり行くらむ。ひとりゆくらむ。

 <由利踊に移る太鼓>

「由利踊」

淀の川瀬の水車、みづぐるま、誰を待つやら、待つやら、来る来ると、誰を待つやら、待つやら、くるくると。

 <附歌の太鼓> 

△つつじ椿は山照らす、花の千松御所照らす。

 <間の太鼓>

掛けてよいもの玉簾、たますだれ、掛けて悪いは、掛けて悪いは薄なさけ、うすなさけ。

 <附歌の太鼓>

△つつじ椿は山照らす、花の千松御所照らす。

 <間の太鼓>

何とさひたる枕やら、枕やら、夜中に目を覚ます、めをさます。

 <附歌の太鼓>

△つつじ椿は山照らす、花の千松御所照らす。

 <間の太鼓>

伊勢の山田の力石、ちからいし、締めたばかりで、しめたばかりで、夜を明かす。よをあかす。

 <附歌の太鼓>

△つつじ椿は山照らす、花の千松御所照らす。

 <間の太鼓>

君も夜舟に召すならば、めすならば、我れも車で、くるまで、都まで、みやこまで。

 <附歌の太鼓>

△つつじ椿は山照らす、花の千松御所照らす。

 <間の太鼓>

いなか山にも霧が降る、きりがふる。御身思ひに、おもひに、霧がない、きりがない。

 <附歌の太鼓>

△つつじ椿は山照らす、花の千松御所照らす。

 <間の太鼓>

「間の歌」

浮雲を、帯に駿河の富士の山、廻りを見れば結び目もなや。

宮島の、弥山の空の宵時雨、ぬれてや鹿がひとり行くらむ、ゆくらむ。

 <芋踏へ移る太鼓>

「芋踏」

播磨の書写の、書写山寺の、御稚児のいでたち、今朝こそ見たれ、京編み笠に四手切りかけて、御顔に月のほのぼのと、おかほにつきのほのぼのと。

 <間の太鼓>

乾の隅の三本榎、えの実はならで銭がなる、えのみはならでぜにがなる。

 <間の太鼓>

銭花咲くや、金花咲くや、空うち晴れて米が降る、そらうちはれてよねがふる。

 <間の太鼓>

長者殿は今世の盛り、真砂に銭を踏み交ぜて、まさごに銭をふみまぜて。

 <間の太鼓>

御身はおれを細いとおしゃる。細谷川の小椿を御覧ぜ、細けれど花が咲き候よ、ほそけれど花がときそうろよ。

 <間の太鼓>

銀延べて襷にかけて、金の桝で米量る、こがねのますでよねはかる。

 <間の太鼓>

「間の歌」

浮雲を、帯に駿河の富士の山、廻りを見れば結び目もなや。

宮島の、弥山の空の宵時雨、ぬれてや鹿がひとり行くらむ、ゆくらむ。

「中引」

おんじゃれ若い衆、御暇申す、明年参らふ又参らふ、明年参らふ又参らふ、めうねんまゐらふまたまゐらふ。

 <引揚げの太鼓・戻しへ移る太鼓>

「戻し」

空立つ鳥も戻せば戻る、今一度戻せ押し戻せ、おしもどせ。

 <間の太鼓>

おんじゃれ若い衆、花見を始めむ、吉野は今が花盛り、はなざかり。

 <間の太鼓>

袂に硯短冊いれて、みな花ばなに歌を掛けやう、うたをかけやう。

 <間の太鼓>

 (中休み)

 <起りの太鼓>

「起り」

みな花ばなは咲きこそ下れ、葵の花は咲き上る、さきのぼる。

 <間の太鼓>

「間の歌」

あら目出た、天に金の花咲きて、地に銀の実こそなりけれ。

我が恋は、深山隠れの埋もれ木の、朽ち果てぬれど、人に知られじ、ひとにしられじ。

 <由利踊に移る太鼓>

「由利踊り」

貴蔵花壇に竹植ゑて、本は尺八、中は笛、うらは歌書く筆の軸、ふでのぢく。

 <附歌の太鼓>

△麻の中なる糸蓬、よれてかかるは緑で候。

 <間の太鼓>

貴蔵殿こそ伊達人よ、長い刀に鍔かけて、どこへ御座るか貴蔵殿、きざうどの。

 <附歌の太鼓>

△麻の中なる糸蓬、よれてかかるは緑で候。

 <間の太鼓>

貴蔵殿こそ伊達人よ、榎の葉くくしの小袖着て、どこへ御座すか貴殿殿。きざうどの。

 <附歌の太鼓>

△麻の中なる糸蓬、よれてかかるは緑で候。

 <間の太鼓>

貴蔵見たさに花植ゑて、花の木陰に日を暮らす、ひをくらす。

 <附歌の太鼓>

△麻の中なる糸蓬、よれてかかるは緑で候。

 <間の太鼓>

貴蔵見たさに浜へ出て、浜の柳に腰かけて、花の喜蔵を夢に見た、ゆめにみた。

 <間の太鼓>

「間の歌」

宮島の、弥山の空の宵時雨、ぬれてや鹿がひとり行くらむ。ひとりゆくらむ。

住吉の、御前の沖の潮あひに、浮み出たる淡路島山、あはぢしまやま。

 <走踊に移る太鼓>

「走踊」

住吉の、住吉の四社の御前の反り橋は、誰が架けつる中反りに、なかぞりに。

 <間の太鼓>

住吉の、住吉の松の木の間に月見れば、しばし曇りて又さゆる、またさゆる。

 <間の太鼓>

鹿の音を、聞き山越せば、山越せば、恋の道連れや面白や、おもしろや。

 <間の太鼓>

秋鹿が、秋鹿が身をば紅葉に隠せども、恋路になれば顕はれぞする、あらはれぞする。 

 <間の太鼓>

我が恋は、我が恋は細谷川の丸木橋、踏みかへされて濡るる袖かな、ぬるるそでかな。

 <間の太鼓>

清水の、清水の橋のらんかに腰かけて、滝のかかりを眺むれば、やら見事、やらみごと。

 <間の太鼓>

「間の歌」

宮島の、弥山の空の宵時雨、ぬれてや鹿がひとり行くらむ。ひとりゆくらむ。

住吉の、御前の沖の潮あひに、浮み出たる淡路島山、あはじしまやま。

 <返踊に移る太鼓>

「返踊」

近江の国の六角殿から真正坊への引出物には何なにぞ、独鈷、三鈷、鈴、錫杖に花瓶、香炉、燭台、天目、見台硯や墨紙筆に雑紙、薄葉、杉原なんどを引き合はせては、唐の掛絵を三幅一対御引きある、三幅一対おひきある。

 <間の太鼓>

真正坊から六角殿への引出物には何なにぞ、先づ一番に鹿毛、栗毛、糟毛、川原毛、雲雀毛、月毛、真黒、四白、額星、名馬そろへて御引きある、名馬そろへておひきある。

 <間の太鼓>

扨て其外に、房鞦に鞍鐙、太刀長刀、真羽の征矢、弦巻半弓、籠手すね当に鎧腹巻、敷皮共に御引きある、敷皮共に御引きある。

 <間の太鼓>

坂東名馬に金覆輪の鞍なげかけて、逸散出しては、馬手の手綱を掻いくり廻わし、井沢の鞭をお使ひあれば、さらりと出るが、さっくと止まる、扨ても見事の名馬かな、さてもみごとのめいばかな。

 <間の太鼓>

大山に続くたき(滝?獄)が三頭ある、一つのたきの御名をば、せいじ(生死?障子)がたきとは申し候、せうじがたきには、びしゅ(昆首)がだるま(達磨)を作られて、せいしんばせう(先仭万丈)に、ばれんがれん(万嶺巌嶺)が、いでき(威敵)がたきとは申し候、いできがたきとはまうしそうろ。

 <間の太鼓>

淡路島、国の始めと聞く時は、岩戸の鏡くもる間もなや、くもるまもなや。

 <間の太鼓>

宮島の、弥山の空の宵時雨、ぬれてや鹿がひとり行くらむ。ひとりゆくらむ。

住吉の、御前の沖の潮あひに、浮み出でたる淡路島山、あはぢしまやま。

「引揚」

おんじゃれ若い衆、御暇申す、明年参らふ又参らふ、明年参らふ又参らふ、めうねんまゐらふまたまゐらふ。

 <引揚の太鼓・打止めの太鼓>




画像
<岩国南条踊>関連画像001(オリジナル画像表示リンク)

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