名称関連 | 文化財名称 | 木造重源坐像 |
要録名称 | 木造重源坐像 | |
指定関連 | 指定区分・種類 | 重要文化財(彫刻) |
指定年月日 | 明治35年7月31日(内務省告示 第55号)国宝(旧) 昭和25年8月29日 文化財保護法施行により重要文化財 | |
所在地関連 | 所在地 | 防府市大字牟礼1869番地 |
所有者関連 | 所有者 | 宗教法人 阿弥陀寺 |
〔本躰〕
桧材、一本造、諸所に矧木をなし、あるいは木屑をもって盛り上げ、布貼とし彩色をなす。
〔台座〕
後補、桧材、寄木造、漆箔
〔本躰〕
像高 88.2cm
自頂上至顎 26.1cm
面奥行 18.8cm
耳張 19.5cm
臂張 55.1cm
腹奥行 30.9cm
膝張 77.3cm
膝奥行 60.0cm
膝高 17.9cm
〔台座〕
総高 33.3cm
幅 92.4cm
奥行 71.2cm
高 9.1cm
奥行 71.2cm
礼盤座 97.0cm
同奥行 73.6cm
同高 24.2cm
俊乗房重源は俗名を刑部佐衛門尉重定といい、十三才で上醍醐寺に入り、名を重源と改め、真言の修行をしたが、法然上人に帰依して自ら南無阿弥陀仏と号し念仏を勧めた。
治承四年(1180)奈良東大寺が平重衡の乱のため大仏殿其他緒堂宇が焼けた時朝廷では最初法然上人をして諸国勧進せしめんとされたが、法然が固辞してうけなかったため、その弟子の重源を大勧進として東大寺の復興を計られた。
重源はそれから十余年の長年月に亘り諸国を勧進して東大寺再興に従事し、建久六年(1195)三月十二日、天皇行幸のもとに落慶供養を営むと、その年の六月六日入滅したともいわれ、又其頃飄然と寺を出て姿を消してしまったともいう。
周防の阿弥陀寺は重源が東大寺念仏堂やその他六ヵ所に不断念仏を興隆したうちの一つである。また周防国が東大寺の料国であった関係上、東大寺再興に必要な材木を佐波川の流域に求めたことなどに重源と本県との関係を知ることが出来る。
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