名称関連 | 文化財名称 | 木造大内義弘坐像 |
要録名称 | 木造大内義弘坐像 | |
指定関連 | 指定区分・種類 | 彫刻 |
指定年月日 | 昭和52年11月11日(山口県教育委員会告示 第7号) | |
所在地関連 | 所在地 | 山口市水の上町5番27号 |
所有者関連 | 所有者 | 宗教法人 洞春寺 |
円頂、頭の頂上が扁平である。眼を大きく見開く、大きい獅子鼻が顔の中央に目立つ。口唇は薄く、小さな口元を引き締めている。顎が張り四角な面相である。法衣を着し、その上に紐吊りの袈裟を懸ける。両手は屈臂、膝上で掌をあおぎ、右手を下にして重ね、第1指の指先をつける。いわゆる禅定印を結び、曲の上に安坐する形。
桧材の寄木造、頭部は耳後で前後に矧ぎ、さらに面部のみ割り矧ぎとして玉眼を入れる。躰部前面は両腕、袖部、両手首から先、さらに膝前を含めて竪1材から彫出し、背面は襟から地付までを1材に彫出し、はぎ合す。両膝奥に小三角材を補う。膝前の垂裳部は竪1材からなり、両端に小材を補うが、左側の補材を失っている。全体に大きく内刳りを施す。以前は躰内に法華経を9巻に書写して納め底板をはっていたが、土蜂の巣となったため、昭和41年7月22日これを取り出した。彩色は頭部、面部に肉色彩、法衣はくすんだ黄色、袈裟は切り交ぜ文様。彩色は比較的よく残っている。
総高 71.6㎝
像高 51.2㎝
頂上~顎 15.7㎝
面幅 10.9㎝
面奥 15.4㎝
耳張り 13.1㎝
胸奥 13.6㎝
腹奥 14.4㎝
臂張り 35.1㎝
膝張り 42.3㎝
膝高 13.0㎝
膝奥 24.9㎝
裾張り 38.8㎝
膝前の垂れ(右側) 23.0㎝
義弘は大内氏24代の当主で、弘世の嫡男である。京都に出て幕政に参与し、将軍の命により、山名氏清を討ちまた南北朝の和睦を周施したりした。それらの功により西日本の旧領に加え、和泉、紀伊の地を得て、その守護職となった。一方朝鮮とも交易をして、強大な富を得た。この頃将軍足利義満は、義弘の勢力の増大をおそれ、これを除こうとして、義弘の拠っていた堺の城を攻めた。義弘は防戦したがついに力つき自刃し果てた(応永の乱)。香積寺を菩提寺として葬った。時に応永6年(1399)12月20日、義弘は44才であった。
この像は香積寺に伝わったものであるが、後に香積寺解体に伴い、一時五重塔内に安置されていたというが、香積寺の管理に当っていた洞春寺に移り来たものである。大内氏歴代中の名将といわれる義弘の気宇がよくうかがわれる傑作である。
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