名称関連 | 文化財名称 | 大寧寺本堂 |
要録名称 | 大寧寺本堂 1棟 | |
指定関連 | 指定区分・種類 | 建造物 |
指定年月日 | 昭和54年3月31日(山口県教育委員会告示 第3号) | |
所在地関連 | 所在地 | 長門市深川湯本字門前1074番地の1 |
所有者関連 | 所有者 | 宗教法人 大寧寺 |
木造、桁行5間、梁間7間、入母屋造、1間向拝、背面庇付、桟瓦葺、南面2
〔規模〕
桁行19.63m 梁間12.55m
向拝――桁行7.82m 梁間3.03m
背面庇――桁行19.63m 梁間3.03m
軒高 4.10m 軒高 11.80m
平面積 357.3㎡ 屋根面積 665.0㎡
〔構造・形式・概要〕
(1)平面と床 本堂は南面し、正面5間、側面7間の建物で、正面に1間の向拝がつき、建物の周囲に縁が廻る。
身舎平面は、正面側柱筋から1間通りが入側(旧規ではここが諸堂と繋ぐ渡り廊であった)で、その次4間通りは2列6室に区画し、後列通りは内陣で中央間に仏壇を置き、その背面に来迎壁を設け、後陣は奥行2間で脇仏壇がある。
正面庇は向拝で木階3級を畳み、正面と両側面の縁は切目縁、正面の縁高欄は近年の新設である。
背面庇は庫裡から開山堂その他への渡り廊となっている。
(2)軸部と柱間装置 内陣中央間の柱と来迎柱及び後陣仏壇の正面柱が円柱、その他は方柱で正面と背面の側柱は土台建て、その他の柱は礎石建になる。
正・側面の三方側廻りは差鴨居でガラス建て、内部は内陣仏壇の正面3間の各柱間は解放であるが、その他の間仕切は一部に襖建てがあるのみである。しかし入側周囲を除いては各柱筋に敷鴨居、内法長押を廻らし、内陣正面柱筋には各間に筬欄間障子を嵌めている。
正面庇は几帳面とりの方柱が礎石建てになり、水引虹梁、繋虹梁で柱頭を繋ぐ。
柱頭側面に虹梁木鼻の仕口がある。
背面庇の側廻りは隔間に連子組みの火灯窓を設ける。
(3)組物 身舎は正面側廻り柱頭にのみ組物を設け、舟肘木を組む。なお、内陣来迎柱頭には禅宗様の台輪を組むが、斗はなく、台輪上から天井縁下までの間に波涛彫刻を嵌め、中備に刳抜き蟇股を据える。
正面庇は柱頭に出三ツ斗組、中備は平三ツ斗に拳鼻を組む。
(4)天井 向拝と内陣並に外陣と中央間は格天井、その他は棹縁天井を張る。なお、内陣格天井板には彩色絵画が描かれている。
(5)軒廻りと妻組・妻飾 軒は2軒、半繁捶。内庭に面した東側面と背面は一軒疎捶。妻組は木連格子。妻飾りは猪目懸魚を付す。
(6)小屋組・屋根 小屋は和小屋組。小屋貫を全く用いず、母屋は隔間毎に小屋四重梁で繋ぐ。
屋根は桟瓦(石州赤瓦)葺。大棟は青海波、熨斗瓦積で両端に獅子口を飾る。
(7)仏壇 内陣仏壇は禅宗様になるが、高欄は造作されていない。
後陣仏壇は地袋を設けた棚床拵えの仏壇。脇陣の位牌檀も同じで正面柱間に障子を建てる。
大寧寺は、応永17年(1410)大内氏の支族で長門の守護代鷲頭弘忠が、能登惣持寺の開山蛍山禅師の高弟で薩摩の僧、石屋真梁禅師を請じて開山した古刹である。開山以来高僧があいつぎ、中国・九州に末寺をもつ僧録寺として存在し、曹洞の禅をはじめ朱子学も伝え、室町後期には大内氏の山口文化との結びつきもあり、隆盛をきわめたという。
現存する本堂は、幕末の住職45世泰成の代に再建されたもので、伝承によると大寧寺の境内諸堂のひとつ衆寮をもって建て替えたという。
衆寮と本堂との関係については、本堂の身舎梁間寸法が衆寮の図(毛利家文庫の「大津深川大寧寺諸堂御脳所並自作事所差図」中にある)に合い、桁行もほぼそれによっているようにみられ、柱は6~8本ぐらい、小屋組はかなり衆寮のものが使用されているかも知れない。間仕切も衆寮の古図にほぼ合う。
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