名称関連 | 文化財名称 | 旧山口藩庁門 |
要録名称 | 旧山口藩庁門 土塀 付 土塁 石垣 | |
指定関連 | 指定区分・種類 | 有形文化財(建造物) |
指定年月日 | 昭和62年(1987年)3月27日指定 令和4年(2022年)3月4日追加指定 | |
所在地関連 | 所在地 | 山口県山口市滝町一番一号 |
所有者関連 | 所有者 | 山口県 |
旧山口藩庁門 一棟
土塀 二棟
付 土塁 一基
石垣 三箇所(四面)
(1)山口政事堂造営経過
幕府は幕末の危機的政治状況のなかで、有事に備えて、文久2年(1862)10月、本拠を山口に移すことを内定した。
その後、内外の情勢で延引していたが、文久3年(1863)12月、やっと福原越屋を屋形造営惣奉行に任命し、翌元治元年(1864)正月15日、地開きの祭典を終わり、5月27日斧始めの儀を行い、10月16日に至って竣工した。この藩主の居館を屋形あるいは政事堂と称した。
ところがこの元治元年(1864)7月19日には、京都で蛤御門の変が勃発し長州藩は敗北した。このため同年12月、幕府より「山口之儀新規修築工事ニ付、早速破却可有之事」と命じられ、藩主は山口政事堂を引き払って萩に引きあげることを余儀なくされた。
しかし、慶応元年(1865)になると政治情勢の変化から、4月には山口新屋形へ再び移住した。
大政奉還後の明治3年(1870)2月、府・藩・県の公廨を庁と改称すべきことを命じられたので、政事堂を藩庁の名称に改めた。
(2)旧山口藩庁門の築造について
旧山口藩庁門は御屋形の造営工事にともなって築造された。材はけやきと松で木割は太く豪快で、いかにも城門らしい風格を残している。
そのほか「山口御屋形表御門舛形之図」(毛利家文書)及び「山口新御屋形表御門桝形地形図」(毛利家文庫)があるが、これにみえる舛形の土塁の一部は現存している。
(3)明治11年作成の「山口県庁敷地実測図」について
明治11年測定の「山口県庁敷地実測図」(毛利文庫)に現況「配置図」を投影すると、ほぼ重なることが確認できる。このことから以下の結論を引き出すことができる。
(ア)旧山口藩庁門が明治11年当時すでに現在の位置にあった。
(イ)桝形の土塁が当初計画のように築かれていた。
(ウ)この実測図をもとに、現在の堀を旧に復することが可能である。
このように、この門は明治4年(1871)までは山口藩庁門として使用され、それ以後は山口県庁門として引き続き使用された。大正5年、県庁新築事業が完工して正面も東寄りの別の場所に築造されたが、この門はそのまま西口の役割を果たしながら、現在まで使われ続けている。
旧山口藩庁門
(構造概要)
一間一戸薬医門、切妻造、本瓦葺、両脇門
(規模)
桁行 10.280m(主体柱間4.830m) 梁間 2.860m 軒高 5.420m 棟高 6.840m
(構造形式)
①基壇 雨葛一段、切石をめぐらす。基壇面、切石布敷敷つめ。
②礎石 地履石とも花崗岩の切石。
③軸部 本柱・控柱とも面取角柱。本柱間は冠木。本柱・控柱間は腰貫・飛貫でむすぶ。控柱間は頭貫。
④架構 冠木上、親柱直上と柱間三等分位置とに女梁をおき、この上から控柱間の頭貫に男梁をかけ渡し、男梁上に桁行繁梁をおき、束立ちで棟木を受ける。
⑤褄飾 豕叉首。
⑥軒 角疎垂木一軒、茅賀・裏甲・瓦座で本瓦葺を受くる。軒裏は化粧板横貼。
⑦野小屋 化粧裏板北に士台・桔木・野母屋・野垂木を組む。
⑧屋根 本瓦葺、棟は半円2段、菊丸を入れる。両端、鬼瓦鰆付き。隅瓦上は饅頭蓋、鯱形飾板つき。
⑨扉 板扉、両内開き、八双金具他つき。親柱に肘柱
⑩脇門 柱を親柱と冠木でつなぎ、小梁をのせかけ、冠木上の束で棟木をうける。梁は持出し先に舟屋桁をおき、垂木で受ける。軒は一軒角疎垂木。本瓦茸。棟は半円一段積みとする。親柱えぶり板つき。
⑪補足 親柱間、脇間とも扉下に跳放痕あり。
土塀
(構造概要)
木造土塀、切妻造り、本瓦葺
(規模)
総延長 40.820m
梁行 0.910m
棟高 基壇上より2.290m
(構造形式)
①基壇 地覆石とも花崗岩、切石1~2段積み。ただし、石垣側(東側)は石垣の上に葛石をおいて土塀を支える。
②軸部・架構 角柱。柱間は、梁行は冠木を渡し、桁行は冠木の上に桁梁をのせる。冠木上に束を立て棟木を受ける。
③屋根 本瓦葺。端部、海津形鬼瓦。隅瓦上は饅頭蓋、小槌付き。
④壁 竹木舞壁下地に漆喰塗り。頂部と腰部に長押を廻す。
⑤補足 一部饅頭釘隠しが残る。昭和62年度修繕済み。
土塁
(構造概要)
旧山口藩庁門南側に所在した山口御屋形跡の土塁石垣(下部を石垣で補強した土塁)の残存部
(規模)
長さ(南北) 11.5m
幅(東西) 6.3m
石垣上端からの高さ 1.3m
(構造形式)
旧山口藩庁の前身である山口御屋形の大手桝形の南東隅に該当する。土塁は本来現状より北側に延伸しており、南側は堀に沿って西(県庁中央門側)へ続いていたが、現状では、北側は旧藩庁門建設に伴い切断され、西側は後世の改変により失われている。かつての山口御屋形の縄張りを厳重に区画していた土塁石垣の面影を伝える遺構である。
石垣
(構造概要)
山口御屋形の北東から南西にかけての防御壁として設けられていた土塁の下部の補強部分が残存したもので、現在は県庁敷地を区画する堀の内側(県庁舎側)の石垣
(規模)
総延長 276.7m
高さ 2.6~2.7m
(構造形式)
石垣の塁線は、直角または鈍角に連なる4面の石垣面で構成される。これらの石垣は、旧山口藩庁の前身である山口御屋形の土塁石垣を継承したもので、原則的に長軸40~110cmを中心とした大型の花崗岩割石が布目崩し状に積まれる。
当該箇所は山口御屋形の大手を含む正面性の高い場所で、山口御屋形の威容を今に伝えている。
〇屋形の造営には、古材が多く使用されたことを示す史料。
(1)「是日又山口に造築すべき建築工事の次序は五口の番所を第1にし、然る後霊社政事堂公館公族諸邸学校役員官舎の順と定め、其の用材は萩城内其他及び桜田邸にて解除せるものを運送せしめんとせり。かく工事に古材を用ひんとせるは国内山林の濫伐流廃を防がんが為なり(下略)」「両公伝史料」(山口県文書館蔵)
(2)「一銀拾五貫弐百目
但御式台前東寄ニ御門建調同所左右櫛形塀弐拾四間建調之内拾四間古物取建仕是之物ニ代共壹間ニ付三百六拾目宛ニテ四貫九百目拾間新キ立方間口ニ付壹貫目宛ニテ拾貫目御門建方古物相用三百目共右之辻(略)」「諸造営前積一件」(山口県文書館蔵)
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