名称関連 | 文化財名称 | 安尾家文書 |
要録名称 | 安尾家文書 | |
指定関連 | 指定区分・種類 | 古文書 |
指定年月日 | 昭和62年3月27日(山口県教育委員会告示 第1号) | |
所在地関連 | 所在地 | 下関市長府川端1丁目2番5号 (下関市立長府博物館) |
所有者関連 | 所有者 | 下関市 |
一巻
一五点
〇安尾家は、大正4年(1915)まで現下関市長府亀ノ甲1町(豊浦小学校付近)で鋳物業を家業とした鋳物師の家柄である。旧山陽道筋にあたるこの地区は金屋町と呼ばれ、近世において「本金屋」を称した伊藤家、村田家、「北金屋」の長崎家、そして「南金屋」を称した安尾家の各鋳物師が存在した。
明治年代に成立し、大正9年に巻装された安尾家系図1巻に基づき、当主を下記のように一覧表にまとめた。
代/名/没年/法名/備考
12/十郎左衛門/文禄4.5.13/道言禅定門/-
13/孫左衛門/天正19.8.25/宗高禅定門/-
14/左右衛門/慶長9.11.15/契外道悟禅定門/-
15/杢左衛門/寛永4.10.6/洞月浄舜禅定門/元和7年時鐘鋳替
16/長三郎/寛永14.2.13/道順禅定門/-
17/市左衛門/明暦元.4.5/妙円禅定門/-
18/彦右衛門/寛永7.7.28/応誉浄自禅定門/-
19/彦左衛門正之/宝永元.8.28/廓誉浄閑信士/-
20/杢左衛門吉久/元文3.8.24/長誉久真信士/-
21/杢左衛門正候/享保5.2.19/正誉道覚信士/宝永5年時鐘鋳替
22/彦太夫正之/宝暦12.9.2/宝誉了真信士/-
23/杢左衛門/天明2.10.12/法蓮社性誉浄真居士/大砲鋳造
24/杢右衛門尚信/文政2.11.13/一霊院本誉了度居士/楊貴妃釜陰鋳造
25/弥市左衛門/天保9.10.14/聖誉大然鶴翁居士/-
26/理兵衛/明治23.12.21/浄誉義全居士/安政6・文久3年大砲鋳造
27/善三/明治30.2.7/声誉梵音教貞居士/元治2年迄10年間大砲鉄玉鋳造、文久3年大砲鋳造
28/良介/明治34.3.23/陵源院挑誉良仙居士/-
29/左一/昭和9.12.27/温恭院篤行悟入居士/-
【形式・形状・法量】
目録
番号/文書名/法量(cm)
1/建暦二年九月十二日将軍家政所下文写/31.5×46.0
2/宝治二年蔵人所牒案/30.5×80.0
3/元應元年六月廿一日年預左衛門尉紀某年貢催促状 長門國都波木鐵屋所宛/31.0×45.0
4/元亨四年五月三日年預左衛門尉紀某年貢召物催促状 長門國椿金屋供御人所宛/31.0×42.5
5/貞和五年十一月廿一日年預左衛門尉紀某年貢催促状 長門國々苻金屋大工正善所ほか四ケ所宛/32.0×50.5
6/観應二年正月十日年預左衛門尉紀某年貢催促状 長門國々苻金屋正善子息所宛/31.5×45.5
7/文和三年閏十月廿八日年左衛門尉紀某年貢催促状 長門國苻金屋大工所宛/31.0×41.5
8/元亨四年八月日院御方催十八人饗料腰差酒肴座飯請取状 右衛門尉藤原行網宛/29.5×42.5
9/元亨四年八月日殿下御方蔵人所小舎人廿人饗料腰差酒肴請取状 右衛門尉藤原行網宛/30.0×40.5
10/元亨四年八月日兵部省十二人饗料腰差酒肴請取状 右衛門尉藤原行網宛/29.0×39.0
11/元亨四年八月日外記方十六人饗料腰差酒肴請取状 右衛門尉藤原行網宛/31.5×46.0
12/文和参年後十月廿二日蔵人民部権大輔藤原頼為奉口宣案/32.0×45.0
13/(年月日不詳)某供御役催促状追而書(後欠)/24.5×31.5
14/(年不詳)二月十日紀年貢催促状/24.5×33.5
15/天文十八年三月日御倉民部(真継宗弘)年貢催促状/21.0×31.5
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