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2019/12/24 【ニュース】令和元年度の山口県指定文化財「手鑑『多々良の麻佐古』」

 「てかがみ『たたらのまさご』」と読みます。手鑑とは、代表的な古人の書状や和歌などの筆跡を集めて、鑑賞用に仕立てたものです。本帖には、南北朝時代から戦国時代にかけての古文書や和歌、印影など55点が含まれています。南北朝時代に、山口に拠点を移し、大内氏発展の礎を築いた大内弘世(ひろよ)から、最後の当主義長(よしなが)まで大内氏歴代当主の文書23点をはじめ、善福寺(ぜんぷくじ:現在の山口市道場門前にあったお寺)文書、大内氏の家臣が出した文書、大内氏勘合貿易印(皆さんも一度は教科書で見たことがあるはず!)の印影などが収められています。最も古い文書は正平(しょうへい)12年〔1357年〕、新しい文書は永禄(えいろく)10年〔1567年〕です。

 「多々良の麻佐古」という題名ですが、「多々良」は大内氏のもともとの姓、「麻佐古」とは「真砂」の当て字で、大内氏ゆかりの筆跡を真砂(細かい砂)に例えたものではないかと思われます。

 この手鑑をまとめたのは、杉孫七郎(すぎ まごしちろう:1835~1920)という人です。孫七郎は元長州藩士で、明治維新後は、主に宮内省(現宮内庁)の要職を歴任した人物です。杉家は、室町時代には豊前の守護代を務めるなど、大内氏の重臣でした。孫七郎がかつての主家である大内氏を偲んで、その古文書を収集し、手鑑に仕立てたのではないかと思われます。

 この手鑑は、文化的教養が高く能書家としても知られる杉孫七郎の優れた蒐集眼に適ったとても秀逸な作品に仕上がっています。また、室町時代の様々な文書が含まれており、中世の武家文書の様式がよくわかること、これまで史料集等に未掲載の古文書を多く含むことなど、大内氏及び山口県の中世史研究上貴重な資料です。このようなことから、令和元年12月6日付けで、山口県指定有形文化財となりました。実物は、県立山口博物館が保管しています。(ま)



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