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文化財の概要コンテンツ

文化財名称てかがみ「たたらのまさご」
手鑑「多々良の麻佐古」
指定県指定
市町山口市区分有形文化財時代明治
一般向け
説明
 手鑑とは、昔の著名人の書状や和歌などの筆跡を集めて、鑑賞用に仕立てたものである。本帖は、南北朝時代から戦国時代にかけての古文書や和歌、印影など55点からなる。大内弘世(ひろよ)(14世紀中頃)から大内義長(よしなが)(16世紀中頃)に至る、大内氏歴代当主の文書23点、善福寺(ぜんぷくじ)(現在の山口市道場門前にあった時宗寺院)文書16点(このうち8点は大内氏歴代当主の文書23点にも含まれる)、家臣の発給文書(はっきゅうもんじょ)、大内持世(もちよ)・大内政弘(まさひろ)等の和歌、大内氏勘合貿易印(重要文化財、防府市毛利報公会蔵)の印影などが収められている。これらの文書のうち、確認できる最も古いものが正平(しょうへい)12年(1357年)7月13日付け、新しいものは永禄(えいろく)10年(1567年)11月16日付けである。
 標題の「多々良の麻佐古」は、多々良は大内氏の本姓であり、「麻佐古」は「真砂」の当て字で、大内氏ゆかりの文書などを真砂(細かい砂)に例えたものであろう。
本帖は、元長州藩士で、明治時代に主に宮内省(現在の宮内庁)の要職を歴任した、杉孫七郎(すぎまごしちろう)(1835~1920)が、大内氏ゆかりの古文書などを収集し、手鑑としてまとめたものである。平成25年(2013年)に杉孫七郎の曽孫から山口県立山口博物館に寄贈された資料780点の中のひとつ。この杉家は、大内氏の譜代家臣である杉氏の惣領家(そうりょうけ)に当たり、豊前の守護代(しゅごだい)を世襲した。本帖は、孫七郎がかつての主家である大内氏の古文書を収集し、手鑑に仕立てたものと考えられる。
 以上、本帖は手鑑として、能書家としても知られる杉孫七郎の優れた蒐集眼に適った秀逸な作品に仕上がっており、また、大内弘世から義長に至る大内氏歴代当主の文書が並ぶことに加え、書下(かきくだし)・安堵状(あんどじょう)・下文(くだしぶみ)・連署状(れんしょじょう)など、様々な書式の文書が含まれ、中世武家文書の様式を通覧できる。また、これまで史料集等に未掲載の古文書を多く含むなど、大内氏及び山口県の中世史研究上貴重な資料である。
 これまで、県指定有形文化財となっている手鑑として、山口市所有の手鑑(通称「萬代帖(ばんだいちょう)」一帖、江戸時代中期~後期)及び下関市所有の手鑑「筆陳(ひっちん)」(二帖、江戸時代中期)がある。手鑑「多々良の麻佐古」には、手鑑「筆陳」から移動した古文書7点が収められている。この7点は、長府毛利家の「毛利家什物(じゅうもつ)書画目録」に、杉孫七郎に譲与された旨が記載されており、目録の記載通りであることが確認できる。
小学生向け
説明
 手鑑とは、昔の著名人の手紙や和歌などの書き記したものを集めて、鑑賞用に仕立てたものです。この手鑑には、南北朝時代(14世紀半ば)から戦国時代(16世紀半ば)にかけて、山口を本拠地とした守護大名・大内氏の古文書や和歌、印影などが55点貼りつけられています。
 標題の「多々良の麻佐古」は、多々良は大内氏のもともとの姓で、「麻佐古」は「真砂」の当て字で、大内氏ゆかりの文書などを真砂(細かい砂)に例えたものと思われます。
 この手鑑は、元長州藩士で、明治時代に主に宮内省(現在の宮内庁)の重要な役職を歴任した、杉孫七郎(すぎまごしちろう)(1835~1920)が、大内氏ゆかりの古文書などを収集して、まとめたものです。この杉家は、大内氏の重臣だった杉氏の本家であり、孫七郎がかつての主家である大内氏の古文書を収集し、手鑑に仕立てたものと考えられます。
 この手鑑は、鑑賞用としてすばらしい作品であり、また、大内氏歴代当主の文書が並ぶこと、様々な書式の文書が含まれ、中世の武家文書の様式を通覧できること、これまで史料集等に掲載されていなかった文書を多く含むなど、大内氏及び山口県の中世史研究上貴重な資料です。
画像<手鑑「多々良の麻佐古」>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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